×

戦後80年 戦争で閉ざされた青年の未来…南さつま市万世特攻平和祈念館 特攻隊員の遺品を展示

2025年5月8日 19:33
戦後80年 戦争で閉ざされた青年の未来…南さつま市万世特攻平和祈念館 特攻隊員の遺品を展示

 こちらは特攻隊員が出撃のひと月前に描いた絵です。絵を描くのが好きで美術教師を夢見ていた青年の未来は戦争によって閉ざされました。戦後80年。南さつま市の万世特攻平和祈念館で特別企画展が始まりました。

 太平洋戦争末期、陸軍最後の特攻基地として造られた万世飛行場。4か月間で201人の隊員が出撃し命を落としました。万世特攻平和祈念館で戦後80年を機に始まった特別企画展では、万世飛行場での出来事が時系列で示され、隊員の遺書や遺品など63点が展示されています。

(小屋敷 茂さん)
「特に今回初公開ということでこの方は4月6日に戦死された福岡県の方で木原愛夫さんという方。機体の絵がすごく繊細で上手ですね。鉛筆と色鉛筆で日の丸のところを赤く塗っている」

絵を描くことが好きで美術の教師を目指していたという木原少尉。20歳で出撃しました。

 「仔犬を抱いた少年飛行兵」の写真で知られる17歳の荒木幸雄少尉が父親に贈った日章旗や飛行服に付けていた隊のマークも。出撃前夜、遺髪と共に封筒に入れ家族に送ったといいます。特攻隊員たちの遺した想いに溢れる涙を堪えきれない男性。8歳の頃終戦を迎えたと言います。

(88歳男性
「よくまだ覚えています3年生だったからね。これを見たりするとやっぱりその時のことを思い出すから、これを読めば涙が出てきます」

会場には10代の中学生の姿もありました。

(名古屋からの中学生)
「自分がその立場だったら多分手紙も書けずに絶望して一晩を過ごすだけみたいになりそう。亡くなった人たちは冷静に手紙とか書いててすごいなと思った」

(川内の中学生)
「人の命がなくなるってことは絶対に帰ってこない命だからそういうの(戦争)は絶対にしちゃいけない」

(母親)
「やっぱりこういう手紙とかを見るとすごいというかどんな気持ちだったんだろうなと思って。今だったら絶対子どもたちを行かせたくない」

戦後80年。万世飛行場に関する遺品は今なお寄せられているといいます。

(小屋敷 茂さん)
「4年前でしたか遺品整理をするということで矢内廉造少尉の最終の地がここでしたから万世記念館の方で保管してくださいと」

女学生が自らの血で染め隊員に贈った日の丸。寄せ書きの裏には両親に宛てた遺書が。「父母様よ心安かれと祈りつつ征きて還らぬ空の初旅」

遺族の高齢化も進む中、家で保管するよりはと寄贈するケースもあるそうです。

(小屋敷 茂さん)
「ご遺族の意向なので出来るだけ資料の保管庫に入れるより機会を見て出来るだけ展示して平和の尊さを大切さを認識していただくという気持ちで企画展をしたいと思っている」

特別企画展は8月末まで開かれています。

最終更新日:2025年5月8日 23:13