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忘れてはいけない祈りの日「雲仙・普賢岳の大火砕流から34年」島原市など各地で追悼行事《長崎》

2025年6月3日 18:45
忘れてはいけない祈りの日「雲仙・普賢岳の大火砕流から34年」島原市など各地で追悼行事《長崎》


死者・行方不明者43人を出した雲仙・普賢岳の大火砕流からきょうで34年です。島原市などでは追悼行事が行われました。

普賢岳のふもとでは、犠牲者に黙とうが捧げられ、“祈りの1日” となりました。


朝からシトシトと雨が降った 3日の島原市。

雲仙・普賢岳は厚い雲に覆われ、その姿を隠していました。

被災後に、住民が集団移転した仁田団地には献花台が設けられ、市や県の職員らが犠牲者に花を手向けました。

(古川 島原市長)
「34年前のことを覚えている人たちが少なくなっている。災害に強いまちづくりを進めなければいけないということを改めて思うとともに、これからの子ども達に災害の教訓を伝えていく必要を感じている」


1991年6月3日、午後4時8分に発生した「大火砕流」。

高温の火山灰などが猛スピードで普賢岳の斜面を流れくだり、地元の消防団員や警察官、報道関係者ら43人が犠牲となりました。


(児童全員)
「大火砕流は、43名の大切な命を 奪いました。きょうは忘れてはいけない 祈りの日」

島原市の第五小学校では集会が開かれ、元校長で、噴火災害当時は第二小学校の教諭だった永石 一成さんが、自作の紙芝居を使って被災の状況や、その後の学校生活を伝えました。

(元校長 永石 一成さん)
「プールに水がたまり、あすは泳げるという日に火山灰が降った。プールの底には、数センチの火山灰が積もっていた。みんなで力を合わせて立ち向かっていくんです。君たちのお父さんお母さんたちも頑張って来た。だから君たちも今から頑張ってください」


児童たちは、日頃から授業や家族の話を通して「噴火災害」を学んできたそうです。

(児童代表4年生)
「自然の怖さを知り、もうこのようなことが起こらないでほしい。普賢岳災害のことをもっと学び、語り継いでいきたい」

(児童代表4年生)
「(普賢岳は)私たちが生活する安中(あんなか)という土地や、豊かな湧き水、美味しい食べ物を与えてくれている。だから普賢岳に感謝を忘れずに、これからも一緒に生きていくためにも、いつ起こるかわからない災害に備えて “命を守る” 準備をしておくことが大切」