“声なき証言” で伝える長崎原爆「被爆者なき時代」に向け 若者が考える新たな継承のカタチ《長崎》
(写真資料調査部会 松田 斉 部会長)
「ココウォークが立っている場所は、被爆当時は三菱の工場があった所」
写真をよく見ると被爆直後のどの場所なのか、どんな被害を受けたのかなどが読み取れることを伝えました。
▼原爆のこと「文章や言葉で聞くことが多くて どうしてもリアルに親近感が持てなかった」
美貴さんは、被爆4世。
曾祖母の平田孝子さん85歳は被爆者ですが、これまで平和活動に積極的に関わることはなかったといいます。
(美貴 優里さん)
「私自身、小学生の時は写真を見て胃がムカムカしてきて、保健室に逃げていたから。今まで原爆という(ものから)逃げてきた」
しかし今回はガイドに関心を持ち、研修に参加しました。
そして、感じたことが。
(美貴 優里さん)
「文章や言葉で聞くことが多くて、どうしてもリアルに親近感が持てなかった。今回写真として見たり、よりリアルに感じられたり。
もっと関心を持つべきだったと、今までの自分に後悔した」
研修の後、原爆資料館を見学した美貴さんと近藤さん。
(近藤 寛菜さん)
「普段壊れないものが異常な感じで、見たことのない感じになっていて怖くなってくる」
(美貴 優里さん)
「さっきの弁当箱(の持ち主)も生きようとしていたのに、ああなっちゃうって…」
自分たちと同じ若い世代が共感できる伝え方とは。
展示を見て、ヒントを得たようです。
(近藤 寛菜さん)
「自分たちが、これから伝えてガイドをしていくという目で見たら、詳しく自分が話せるように場面だけで見るのではなく、内容などを詳しくところまでしっかり見るところが変わった」
▼「いろいろな年齢層や外国人もいるから、それぞれに合った写真展ができたらいい」
迎えた写真展初日。
(美貴 優里さん)
「すごく緊張しているが予習もしてきたので、上手にわかりやすく伝えられるように工夫できたら」
約40人の小学生にガイドします。
(近藤 寛菜さん)
「原爆でケガをした人たちの食糧にするために、たくさんのおにぎりが運ばれてきたところの写真。たくさんおにぎりがあるけれど、これを食べられない人もたくさんいたの」