【被爆80年】「被爆の体験を残したいが…」高齢になった被爆者の声を後世へ “執筆補助”とは《長崎》
(濵崎 ミネ子さん)
「よく言いよったですね。94歳で亡くなったとですけど、やっぱり『つらか、つらか』とは言いよった」
(小川内 清孝さん)
「こういう話を伝えることによって、体験談を作ることによって、ぜひ若い世代に(知ってほしい)」
(濵崎 ミネ子さん)
「子や孫、ひ孫たちが健康で。今、戦争がありよる。あんな目に遭わんように。もう核兵器はダメです。たった1発で、あいだけなるけんね」
(小川内 清孝さん)
「記憶が本当に鮮明で、話もハキハキしていて、すごく伝えたい、残したいという気持ちが伝わってきて、きちんとした文章にしなければいけないと改めて思った」
この日は、小川内さんが聞き起こした濵崎さんの原稿の確認作業が進められていました。
祈念館で執筆補助事業を担当する、吉岡 光子さん。
資料を基に、歴史事実と照らし合わせて入念に確認していきます。
(追悼平和祈念館 吉岡 光子さん)
「被爆者の方が言いたいことと、初めて体験記を読む人たちが、その当時のことを知らないと分からない言葉もあるので。
注釈を付けると逆に被爆者の思いが届かないのではないかなど、そういうところを考えながら、文章を見させてもらっている」
被爆50年となる1995年に国は、全国から手書きの「被爆体験記」を収集。
『黒本』と呼ばれる冊子に集約され、追悼平和祈念館では長崎、広島あわせて約8万人分の証言を公開しています。
被爆80年の今年、全ての被爆者から「体験記」を募る呼びかけを30年ぶりに行う予定で貴重な証言を後世に伝える考えです。
これまで『黒本』にはなかった濵崎さんの証言も「原爆の聞き書き体験記」として書棚に収納される予定です。
(追悼平和祈念館 吉岡 光子さん)
「被爆者のリアルな声を届けられるということで、80周年は皆様に注目してもらえるところ。多くの人に話してもらって、かつ多くの人に体験記に触れてもらう機会を増やしていきたい」