炎が長くユラユラ揺れる「和ろうそく」職人は全国3か所だけ 伝え残したい地元・島原の文化《長崎》
(本多 俊一さん)
「ここは道路が広いし、両側にハゼを植えれば 昔のようにハゼ並木になる。景色もいい。有明海が見えて、こちらに雲仙普賢岳。みんなでやろうとなれば、また元の千本木に戻るんじゃないか」
江戸時代に眉山が崩壊した「島原大変肥後迷惑」では、木ろうの販売で島原藩が復興したと伝えられてます。
それから、230年あまり。
(本多 俊一さん)
「島原は2度の災害に負けないで頑張っているということを、島原の人たちが全国に、世界に、アピールしてもらいたい」
本多さんは今年5月、全国的な表彰を受けました。それは『特用林産功労者』。
木ろうは特用林産物のひとつで、活動が高く評価されました。父・正則さんも表彰されていて、親子2代での受賞は初めてです。
(本多 俊一さん)
「父親も製造業として認められた。自分の場合は、製造業プラス ハゼの文化を地域に広げた、地域の活性化になった」
6年後には、創業100年。本多さんの今の思いは…。
(本多 俊一さん)
「地元の人の理解や協力がなかったら、地方の伝統産業は残らない。ハゼ文化もそうだと思う。
和ろうそくだけじゃなくて、島原半島の伝統産業『木ろう』というものを、島原の人がまず ハゼ文化をもっと理解してもらいたい」
島原のハゼの文化を後世に。伝統産業の火をともし続けます。