“名物女将” の遺志を継ぎ「自分らしく新たなもてなしを」壱岐島の老舗旅館 三代目女将の挑戦《長崎》
お客さんの送迎や島のガイドも務め、女将の枠を超えて壱岐島の魅力を発信し続けました。
二代目のそばにはいつも、若女将 真希子さんの姿が。
頼れる “相方” です。
(二代目女将 宏美さん)
「由布院の辻馬車のおじさんに “壱岐で馬車をしたい”といったら、紹介してくれて(馬車を)買ったんですよ。その時、真希ちゃんが一緒にいたら…」
(三代目女将 真希子さん)
「絶対買っていなかったと思います」
(二代目女将 宏美さん)
「ケチケチ真希子だから。ケチな嫁だけど頼りになる(笑)」
(三代目女将 真希子さん)
「あきれるを通り越しておもしろいので、毎日がジェットコースターのような感じ」
▼二代目女将を襲った試練 それでも前に…前に…壱岐島のために…
そんな日々の中、宏美さんにがんが見つかります。
余命3ヶ月と宣告されました。
(二代目女将 宏美さん)
「家族はみんなレントゲン写真を食い入って見て、どうする?みたいな感じで悲痛な面持ちをしていた。この期間は、神様が私に与えてくれた『50年間分の休養の時』だから」
女将の留守を支えたのは、若女将の真希子さん。
(長女 月望ちゃん)
「私がご飯を食べている時くらいに帰って来る?」
(三代目女将 平山真希子さん)
「うん」
(長女 月望ちゃん)
「じゃあ、いいよ!」
子育てと両立しながら、旅館を守る日々…。
二代目 宏美さんは、女将の仕事を真希子さんにバトンタッチしたあとも、病魔と闘う中で考えているのは、“壱岐のために” できること。
(二代目女将 宏美さん)
「今まで世の中にない“新しい事業”をやりたい。それは今のところ内緒。楽しみに!」
夢を追い、壱岐を愛し続けた人生。享年 73歳でした。
▼二代目の遺志を継ぎ、その夢を “真希子流”で叶える
(平山旅館 三代目女将 平山真希子さん)
「女将がいなくなっちゃったから、“平山旅館ダメになったね” と言われないようにすることで もう精一杯で精一杯で。どんなつらいことがあっても、笑っていなさい!というのは(二代目が)すごく言っていた。コロナも乗り越えられたし」