一糸乱れぬ “櫂さばき”「伝統の福田ペーロン」意地と誇りをかけ さらなる “高み” へ《長崎》
「ドラ」と「太鼓」がリズムをとります。
「あか汲み」は、入ってきた海水をくみ出し、メンバーを鼓舞します。
船を真っすぐに保ち、ターンを最短距離で回すのが「舵取り」です。
さらに、並走する船から動きなどを撮影し、メンバーをサポートする人も。この映像を見ながら、監督が個別に指示します。
(中村敬博 監督)
「漕ぎが浅い。もうちょっと深く深く。頭が動きすぎだから、。体重移動しないようにもうちょっと」
1571年。長崎開港前の5年間は、“福田浦”(当時) がポルトガルとの唯一の貿易港でした。
郷土史には、乗組員と漁師が小舟で漕ぎ争ったのが「福田ペーロン」の始まりと記されています。
五穀豊穣や大漁を願う神事として、現在まで大切に受け継がれてきました。
この海で「人」そして「地域の絆」を深めてきたのです。
中村敬博監督も、幼いころから太鼓とドラの音に囲まれて育ってきた1人。
15歳から情熱を注いだペーロンは、“きつい中にこそ得られるものがある” ということを教えてくれました。
(中村敬博 監督)
「こうき、頑張れ」
体力の限界まで、必死に漕ぎ続けるメンバー。
(メンバー)
「あー!」
(漕ぎ手 深江悠太さん)
「きついですね。頑張るしかない」
(漕ぎ手 嶋田遥臣さん)
「体力がないので、体力をつけられるよう頑張っていきたい」
(漕ぎ手 吉永海凪さん)
「打倒!三重、野母崎で、頑張ります」
大会まで1か月を切ったこの日。
(福田東部チーム)
「きょうはよろしくお願いします」
去年の大会、職域の部で3位に入賞したチームとの「競り」が行われました。
(キャプテン)
「盛り上がって行こうでー」
この日の一番櫂は、ペーロン歴15年の片山省吾さん。そして、男も女も関係ないと意気込む 牧島澪さんが担います。牧島さんも女性ながらペーロン歴は12年のベテランです。