「忘れないでほしい」ウクライナ侵攻開始から2年 長崎へ避難した学生らの今と今後抱える問題《長崎》
▼望みは戦争が終わること 日本で夢に向かい学ぶ
(オレクサンダー・オストロウシチェンコさん)
「戦争が終わることが(望み)。でも今は難しい。私の未来は、例えば日本の会社で働いて家族がいる。それが私の夢」
出入国在留管理庁によりますと、今月14日時点で、県内で受け入れているウクライナ避難民は19人。
佐世保市にはオストロウシチェンコさんを含め、7人が暮らしていて、全員が九州文化学園グループが運営する寮で生活しています。
▼佐世保市に暮らす7名のうち 高校生は日本語で授業も
その中には、高校生も。
アレキサンダー・サマルハさん、18歳。
おととし6月に、ウクライナから避難してきました。
7か月間、日本語を学んだのち、去年4月に九州文化学園高校に2年生として編入。
日本の生徒と同じ授業を受けています。
▼日本が好き 日本で働きたい
(アレキサンダー・サマルハさん)
「友達もできて友達と日本語で毎日会話して、どんどん毎日(日本語が)うまくなっている。授業も日本語で受けている」
当初は、一緒に避難した母と妹とともに佐世保で暮らしていましたが、2人は先に帰国。
今は1人で寮生活を送っています。
(取材班)
「母と妹と一緒に帰ろうと思わなかったか?」
(アレキサンダー・サマルハさん)
「そういう思いはなかった。日本がやっぱり好きだから、勉強もしたいし、ずっと日本にいる。帰りたくない。高校を卒業して、日本の大学に入ろうかと思っている。大学卒業しても、仕事を日本でずっと(やりたい)。ずっと日本で生活を続けたい」
▼ウクライナ人をサポートする側が抱く今後の「懸念」
避難民支援などを行うNPO法人を運営する 小野 一馬さん。
オストロウシチェンコさんとサマルハさんの受け入れにも携わりました。
ウクライナ出身の妻とともに、壱岐市で暮らしていた小野さん。
おととしの侵攻開始直後から支援活動をスタートさせ、自治体などと連携して多くの避難民の受け入れを進めてきました。
現在は、大分県別府市を拠点に避難民をサポートしています。
この日は、佐世保市で暮らすオストロウシチェンコさんら3人に、去年12月から日本政府が始めた新しい制度の内容を説明しました。
(小野 一馬さん)
「ビザの変更にデメリットがないと、別府にいるウクライナの人たちにアドバイスした。5年間のビザを取得するのはメリットしかない」
これまで、ウクライナ避難民への在留資格は1年まででしたが、新たな制度を利用すると最長5年間、取得できるように。
安定した生活が期待できる一方、行政や民間団体からの経済的な支援は縮小傾向にあり、これまで以上に「自立した暮らし」が求められるようになったといいます。