“平和というタネ”を子どもたちへ~いつか花開け! 被爆者代表の89歳「平和への誓い」に込める思い《長崎》
その後 大学に進み、家業を継いだ三瀬さん。
長年、被爆体験を語ることはありませんでしたが、2014年非政府組織=NGOの活動で海外を訪れたことが転機に。
翌年、80歳になってから「語り部」活動を始めました。
(三瀬 清一朗さん)
「(NGOの活動で)ベネズエラに行って、日本がどこにあるか知っているか聞いた。すると知らない(と言われた)。日本のことを知らなかったら当然、広島と長崎の原爆のことも知らない。そうしたらもっと我々は、体験を話しておかないといけない」
活動では、県内の小中学生や修学旅行生らに対し、自身の体験を伝えています。
(三瀬 清一朗さん)
「戦争や原爆を体験している人にとって平和というのは、“当たり前の生活ができる” というのが平和だと思っている」
「平和への誓い」への応募は、子どもたちの反応がきっかけだったそうです。
(三瀬 清一朗さん)
「“元気な間は、原爆を知らない人たちに(三瀬さんの)話をどんどんして下さい” というメッセージが書いてある。これが私の今回 被爆者代表として応募する1つのポイントになった」
一方で、活動をつまで続けられるか不安もあるといいます。
今、大きな期待を寄せるのが「若い世代の活動」。
3年前には、長崎大学核兵器廃絶研究センター(=レクナ)の若手研究員が行った 被爆前の長崎の様子を伝える取り組みに協力しました。
三瀬さんの幼少期の写真などが活用され、その資料は「デジタル教材」として公開されています。
(三瀬 清一朗さん)
「若い世代が核兵器や戦争、原爆のことをイベントとしてやっているのはいいことだと思う。私たちみたいな語り部がまだいるから、いるうちに後に残すための方法をとらないといけない」
ウクライナやパレスチナ・ガザ地区など、世界で、戦火が絶えない中 迎える8月9日。
未来の子どもたちが平和に暮らしていけるように…。
平和祈念式典で思いを伝えます。
(三瀬 清一朗さん)
「平和というタネを子どもたち1人1人に話を通じて1粒ずつまいている。
現在の世界情勢から見れば、“本当に花が咲くか” は疑問だけど、誰かが声出して動かないことには、核保有国だけで話を進んでしまう。
被爆体験したあの戦争の忌まわしさ、いかに平和がありがたいかを皆さんに訴えていく。この方法しかない」