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「救えたはずの人命 悔しさ今も」雲仙普賢岳大火砕流から33年 火山学者が未来へ “災害の記録”《長崎》 

2024年6月3日 6:45

(九州大学名誉教授 太田一也さん)
「(避難勧告区域に)マスコミがいっぱい入っていた。それが死者が出る元になった。死ななくてよかったのに亡くなってしまった。これが私は非常に残念でならない。一介の研究者が(避難を)呼びかけても誰も聞かない。火山噴火予知連絡会とか公的機関が「入ってはいけません」と言ったら、おそらく阻止できたと思うけど(予知連は)一切関与しなかった」

▼「未来の命 守るため」普賢岳研究をライフワークに

その後も山の状況を観測し、当時の島原市長 鐘ヶ江 管一さんら、自治体の長の判断に手助けを続けました。

1996年に噴火災害の「終息」を宣言したのも太田さんです。

雲仙岳に関する研究は「ライフワーク」として継続。

4年前に腰の骨を折るケガをし介護施設で療養生活をしていますが、執筆の手を止めることはありませんでした。

(九州大学名誉教授 太田一也さん)
「私の身体も車いすの生活になっていたので、膝の上で鉛筆書きで(文章を)書いていった。それをずっと、3年間くらいかかった」

出版した「雲仙火山」は、1984年に出した本に平成の噴火の記録などを加えた改訂版です。

雲仙火山の成り立ちや構造、江戸時代からの噴火や地震の歴史などが詳細に記されています。

代表的な研究成果として知られるのが「千々石カルデラ」の存在です。

1972年、島原半島西側の橘湾は火山の活動によってできた大きな「くぼ地」=カルデラであると提唱。

橘湾の地下には普賢岳などにマグマを供給する「マグマだまり」があると発表しました。

当初は否定的な意見が多かったものの、平成の噴火でこの説を裏付けるデータが相次いで観測されたといいます。

(九州大学名誉教授 太田一也さん)
「普通、(活火山の)真下にマグマだまりがあってそこから(上に)出てくると考えられている。(雲仙岳)西側の橘湾は、カルデラであるという仮説を誰も信じなかった。しかし平成噴火でその通りになったから、私は実証されたと(思っている)」

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▼今後の懸念「大きな地震」