×

【被爆80年】貴重な被爆資料を未来へ 世界で唯一“被爆した医科系大学”の長崎大の取り組み《長崎》

2025年5月9日 16:00
【被爆80年】貴重な被爆資料を未来へ 世界で唯一“被爆した医科系大学”の長崎大の取り組み《長崎》

特集は、NIBが進める被爆80年プロジェクト「PassTheBATON」。

長崎大学は今年、貴重な被爆資料を未来に伝える取り組みを始めます。

スローガンは「継承と行動」です。

◆貴重な収蔵資料 “紙製” の人体模型「キュンストレーキ」

(長崎大学 永安 武 学長)
「すごいな。しげしげと見るとよくできている。(これが)紙だからね」

長崎大学附属図書館の医学分館にある展示室。

3月上旬、永安 武学長がある貴重な収蔵資料を確認するために訪れました。

原爆の被害を受けながら、奇跡的に右半身だけが残った “紙製” の人体模型「キュンストレーキ」です。

キュンストレーキは、長崎大学医学部を設立し「近代西洋医学の父」といわれた、オランダ海軍医 ポンペが、1860年に解剖や人体の仕組みを学ぶ医学生用の教材としてフランスから輸入。

戦時中は、解剖学教室で大切に保管されていました。

(長崎大学附属図書館 浜田 久之 館長)
「太ももの辺りに、原爆(被害)のガラス片が刺さっているらしいが、どこかよくわからない」

1945年8月9日。

爆心地から南東約550mにあった長崎大学医学部の前身「旧長崎医科大学」は、原爆により木造校舎が全壊。

学生や教職員など約900人が亡くなり、わずかに鉄筋コンクリート造りの建物だけが、その形をとどめました。

大きな被害を受ける中、紙製の人体模型はどうして焼失を免れたのか…。

(長崎大学附属図書館 浜田 久之 館長)
「戦火がひどくなって佐藤先生という方が、コンクリート製の書庫に保管して、そこで奇跡的に爆風にも耐えて残った。恐らく前の所に、肺があって心臓があったのではないかと思われる。それは焼け焦げてなくなった」

右半身だけになっても立ち続ける姿に、医学者たちも目を見張ります。

(長崎大学 池松 和哉 医学部長)
「学生のころにはあまり感じていなかったが、こういうものが連綿と続いて医学が発展してきたと思うと、すごく感慨深い。原爆の被災の記録。本当はきっちりした形で残るべきだった」

次ページ
◆被爆から「80年」保存に向けたアクション