【被爆80年】貴重な被爆資料を未来へ 世界で唯一“被爆した医科系大学”の長崎大の取り組み《長崎》
ただ、被爆から80年が経過し表面はひび割れ、劣化が進んでいます。
そんな中、長崎大学が発表したのは…
(長崎大学 永安 武 学長)
「薄れつつある原爆の様々なことを、一般の市民も含めて “継承” をどうするかがひとつの大きな問題になっているが、これをしっかりとアピールすることがアカデミアとしての使命」
劣化が進む被爆資料や被爆遺構の修復、保存に向けたアクションです。
長崎大学の原爆後障害医療研究所にある展示室。
ここには「血染めの白衣」が飾られています。
原爆後障害の研究に努めた、西森 一正元名誉教授が、30年前に寄贈しました。
(原爆後障害医療研究所 横田 賢一 助教)
「爆心から691mという非常に近い距離。爆心側の部屋ではかなり多くの方が亡くなったが、反対側の部屋には遮蔽が効いていて亡くなる方が少ない状況だった」
当時、医学生だった西森さん。
隣接する附属医院の外来本館3階で、患者を診察中に被爆。粉々になったガラス片が30か所以上刺さりました。
血染めの白衣は、原爆の恐ろしさを伝える貴重な資料として展示されていましたが…。
(原爆後障害医療研究所 横田 賢一 助教)
「ご覧のように一部、カビが発生している状況が見受けられる。おそらくここからが目に見えて劣化が進むところ。繊維が損傷してくるので、だんだん破れやほつれが目立って来る」
大学はこの白衣についても、今年6月頃からクラウドファンディングを行って、修復や保存に充てる費用を募るとしています。
未来に残すのは「資料」だけではありません。
(青木雄大アナウンサー)
「こちらが “門柱” と見られていて、その手前にあるのが根元。土をかぶっているのが、基礎部分だと思われる」
去年1月、大学敷地内の工事で新たに見つかった「旧長崎医科大の旧通用門」の門柱と基礎部分。
“被爆の影響が読み取れる” として去年12月、長崎市の「被爆建造物等」の中で最も高い、Aランクに登録されました。
長崎大学は、爆風によって台座から16センチずれた “旧正門の門柱” とともに保存し、説明板の設置なども行う予定です。