「被爆の遺伝原因かも…」7歳息子を白血病で亡くした94歳被爆者 核の恐怖 次世代へ語り継ぐ《長崎》
(氏原 和雄さん)
「本当に原爆 放射能というのは、こんなに恐ろしいものかと。戦争のおそろしさ、核の怖さ、命の大切さを初めて自分なりに受けた」
息子を失ったうえ、その理由が自身の被爆のせいかもしれない…
浩順さんの死をきっかけに、自身の被爆と向き合う日々。
自分が見て、感じて、経験したことを、多くの人へ語る決意をしました。
(氏原 和雄さん)
「次の世代に伝えること、話をしなければならない。何か自分自身が被爆したという証明を持っておかなければならないと思い、すぐ被爆者健康手帳をもらった」
語り部の活動を始めた氏原さん。
94歳になった今も、諫早市や被爆者団体の依頼を受け、講話や証言を続けています。
去年の夏には、高齢の体を押して活動する氏原さんを見守ってきた長女の光恵さんが諫早市の「被爆二世の会」に入会。
氏原さんの体験は「被爆二世の会」が紙芝居にしたいと制作を進めていて、光恵さんがその脚本を担当しています。
この日、2人は市内の百日紅公園へ。
市営の火葬場だったここには、原爆で犠牲になった約400人~500人が運ばれたそうです。
迎える被爆80年。
体調が許す限り、記憶を伝えていく覚悟です。
(長女 光恵さん)
「(三男の浩順さんは)見ていると思う。父の背中を押すと同時に、父も私も弟に生かされている。だから今できることを一緒にできたら喜んでくれるんじゃないかな」
(氏原 和雄さん)
「特に浩順の慰霊に対しては私は生涯忘れもしないし、本当に可哀想だった…。つくづく思う。
(今は)浩順が私の背中を押して『頑張れよ』と言っているような。だから私も、それに沿ってやっていかなければいけない」
(長女 光恵さん)
「大丈夫よ。今も、頑張ってって言ってるよ」
誰も傷つかない 平和な未来を次の世代に…
父と娘、二人三脚の活動は続きます。
【NIB news every. 2024年12月4日放送より】