「核がなくなるまで」被爆者らが毎月行う “反核9の日座り込み” 500回の節目迎え新たな決意《長崎》
(県平和運動センター被爆連 川野 浩一 議長(84))
「核がなくなるまでこの座り込みを絶対にやめることはない。核兵器をなくさない限り、戦争をなくさない限り、私たちに平和はない」
(被爆者 山川 剛さん(87))
「私たちの抗議のさざ波は、アメリカの大陸には届いている。とにかくさざ波を立て続けるというのが大事」
500回目の座り込みには、普段の4倍を超える 約420人が集まりました。
多くの観光客らが訪れる 長崎市の平和公園の平和記念像前での座り込み。
(京都から)
「(京都では平和活動を)あまり見かけない。しっかり地元の人に受け継がれているのは良いこと」
(アメリカから)
「I mean it it's good.it's the best way to go about doing like that.(座り込みは)いいと思う。(平和の実現に向け)ベストな方法だと思う」
参加者の中には、1回目から携わってきた被爆者の姿も。
(1回目から参加被爆者 吉田 豊さん(82))
「これからも自分の座り込みだ、自分の平和のためだ。そういう気持ちで頑張っていきたい」
吉田 豊さん82歳。400回目まで、欠かさず参加してきたといいます。
(1回目から参加被爆者 吉田 豊さん(82))
「原子力船『むつ』の反対運動をするという時に合わせて、青年の運動をつくった。多くの人に参加してもらいやすい、あるいは女性の人にも参加してもらいやすいというつもりで、座り込みを始めたと思う」
「核廃絶の日」の実現を目指してきた45年間。
「9の日」に限らずフランスやアメリカが核実験を行った時には、緊急の座り込みも実施。
被爆地から “怒りの声” を上げました。
被爆者の平均年齢が85歳を超える中、若い世代の姿も増え始めています。
鎮西学院大学に通う 大澤新之介さんは、5年ほど前から座り込みに参加しています。