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ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄さんが死去 元プロ野球選手・川口和久さんや愛用していた万年筆など山陰とのつながりも 鳥取県米子市

2025年6月3日 18:59
ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄さんが死去 元プロ野球選手・川口和久さんや愛用していた万年筆など山陰とのつながりも 鳥取県米子市

読売巨人軍の長嶋茂雄 終身名誉監督が、6月3日の朝に肺炎のため亡くなりました。89歳でした。

長嶋さんは1958年に巨人軍に入団。17年間のプロ生活で、リーグ優勝13回日本一に11回輝くなど、数々のタイトルを獲得しミスタージャイアンツとして活躍しました。

引退後は巨人軍の監督に就任し、2013年には教え子の松井秀樹さんとともに国民栄誉賞を受賞、2021年には文化勲章を受章しています。

長嶋さんと山陰のつながりはこんなところにありました。

1992年。巨人の監督就任が決まった長嶋さんは、元近鉄バファローズの岩本堯さんと鳥取県米子市を訪れ少年野球教室に参加。

長嶋茂雄さん
「一番基本的なことはきちんとボールを見てきちんと芯に充てる。当てたボールを必ず人のいないところに打つ」

市内の小学生や中学生のバッティングを見ながら長嶋さんは熱心に指導する姿も。

鳥取市内にある万年筆の専門店「万年筆博士」。オーダーメイドで作るこの店の万年筆を長嶋さんは27年前から愛用していました。

万年筆博士 山本 竜 社長
「水牛の角なんですけど、水牛の角には黒いものと白いものがあるんですけど白いものですね。ちょっと茶色い筋の入ったエレガントなそれをお好みになってご注文いただきました」

オーダーメイドの万年筆を大いに気に入った長嶋さん。

その際、印象に残った出来事が。

万年筆博士 山本 竜 社長
「今は亡き私の祖母が巨人の大ファンだったんです。当時、祖母が癌で手術をしまして、入院中だったんですよね。そうしましたら、長嶋さんが出来上がった万年筆でサインを色紙にしてくださいまして、祖母宛ての名前を書いて送ってくださったんです。(祖母は)泣いて喜びまして、その病気を乗り越えることができました」

長嶋さんに支えられた人がもう一人。

鳥取県出身で、巨人で活躍した元プロ野球選手・川口和久さん。

川口和久 さん
「とうとうこの日が来てしまったか…という感じですね」

思い出されるのは、1996年、首位との11.5ゲーム差を跳ね返して優勝したときの「メークドラマ」。

川口和久さん
「とにかく背中をたたいていただいて、よくやったという笑顔が忘れられない。長嶋さんから『最後川口が行くんだぞ』と言われたときは本当にうれしくて、長嶋さんの下でやれるんだといううれしさといったらなかった」

これがそのときのユニフォーム。今でも鮮明に覚えているという思いの詰まった一着です。

さらに去年9月、東京ドームで長嶋さんと再会を果たすと。

川口和久 さん
「こんにちはー!川口ですー!っと言ったら頭が縦に何回か振っていただいて、頭が上下したときに分かってるよという仕草が。覚えててくれているんだとうれしかった」

幼少期から憧れ続けた長嶋選手。そして、プロとしてともに試合に挑んだ長嶋監督。その存在なしでは野球人生を語れないといいます。

川口和久 さん
「子供の頃から長嶋さんに憧れ、長嶋さんの元で野球を終えられたという、本当に野球人生でこんなに幸せなことはなかったですし、憧れた方が僕の野球人生のトリを取っていただいたということは本当にうれしかった。非常に残念ですけど、ゆっくり休んでくださいと言いたいですね」

長嶋さんが見せ続けた背中はいつまでも多くの人の記憶に残り続けるでしょう。

最終更新日:2025年6月3日 18:59