【ボンサイ柔術】 クレベル・コイケに迫る 「人として成長してほしい」地元で子どもたちに柔術を教える理由とは(every.しずおか特集)
当時のクレベルさんについて恩師は…
(クレベルさんの恩師 マウリシオ・ダイ・ソウザさん)
「当時、彼の人生に目的地はなかったが、スポーツはいろいろな人生を変えることができる。彼は柔術で人生を0から100まで変えることができた」
慣れない日本での生活にすさみかけたクレベルさんの人生は、ブラジリアン柔術に出会い激変しました。
(クレベル・コイケさん)
「ブラジリアン柔術は、私の人生を変えました。自分に自信が持てるようになり、精神的にも安定しました。相手を尊敬する気持ちや、自立することの大切さは、すべて柔術の練習や先生のおかげで学ぶことができました」
しかし、日本での生活が軌道に乗った2008年にリーマンショックが起き、両親が帰国を決断したのです。
(クレベル・コイケさん)
「自分も両親と一緒にブラジルに帰ることも考えました…。でも、日本で何かやり遂げたいと、私だけ日本に残ることにしました」
日本で自分を変えてくれたブラジリアン柔術を極めたいと、クレベルさんは仲間と共に日本に残る決断をしたのです。
(クレベル・コイケさん)
Q日本に残ったことに後悔は?
「残ったことに感謝しています。いま、自分がここまでこられたのは、日本のおかげです。いろいろなピンチも乗り越えることができました」
当時、仕事も少なくなり生活が苦しくなる中、同じブラジルからやってきたマルキーニョスさん、サトシさん兄弟と、アパートで共同生活をしながら練習を続け、その後、総合格闘技でプロデビューを果たしたのです。
(クレベル・コイケさん)
「本当の家族よりも、2人と一緒にいる時間の方が長いしね。お金がなくて、練習に行くために車にガソリンを入れるか、食事に行くかの選択を迫られることもあったよ。3人で協力してきたから、ここまでなることができた」
(共同生活をしていた マルキーニョスさん)
「クレベルの前で言ったことがあるか分からないけれど、僕が思うに、いま全部あることは全部クレベル自身の力。私とサトシはクレベルをサポートしてきただけ」