【震災14年】「あの日の私」語り部の女性 記憶紡ぐ 命つなぐ未来へ 岩手県釜石市
特集です。
東日本大震災の当時、中学2年生で、津波から命からがら逃げた岩手県釜石市の女性が、語り部としてあの日の記憶を紡いでいます。
女性が伝えたい想いとは…
菊池記者のリポートです。
川崎杏樹(あき)さん
「多分みんなそうだと思うんですけど人生が大きく変わった日なんじゃないかなと思います」
釜石市の北部、鵜住居地区。
未来の命を守る津波伝承施設です。
いのちをつなぐ未来館。
「いのちをつなぐ未来館に普段常勤しております川崎杏樹と申します」
語り部をしています。
川崎杏樹さん
「地域の方々、多く亡くなってしまった一方で、子どもたちで助かることができましたっていう地域です。釜石東中学校と鵜住居小学校、2つの学校の生徒たちについて紹介していきたいと思います」
震災前、鵜住居地区の河口付近にあった釜石東中学校と鵜住居小学校。
震災当時、川崎さんは中学2年生でした。あの日…
(津波)
「ほら(津波が)来るね」「来る」
(防災無線)
「ただいま岩手県沿岸に大津波警報が発表されています。高いところで3メートル以上の津波が予想されます」
あの日の出来事。
中学時代、バスケットボール部に所属していた川崎さん。
「地震が発生した時はちょうど部活をしている最中で、いつも通り、みんなと一緒に準備体操をしているタイミングでした。もう立てるような状況ではありませんでした。地震がちょっと収まってくるタイミングで『これは絶対に津波が来るんだろうな』というふうに思いまして学校からすぐに避難を開始した流れになります」
(避難追体験)
「じゃあ、もうちょっとギュッとなろうか。2~3列くらいになって移動していきましょう。はい、みなさん、ちょうどですね、このあたりからまさに当日、避難をした道に移ってきまして防災無線が聞こえ始めたエリアになってきます」
(防災無線の音)
教員の指示を待たずに避難を開始した中学生たち。
小学生の手を引いて高台を目指しました。
川崎杏樹さん
「当時はですね、ここの駐車場に私たち避難をしてきました。到着をしたあと、すぐにまた安否確認のためにそれぞれ小中わかれて整列と点呼を取り直していきます。ただ、その並び直しをしている最中で大きな地響きのような、地鳴りのような音が聞こえてきました」
(津波)
「あまりにも衝撃的でなかなか理解が追い付きませんでした。なのでとにかく頭が真っ白なんです」
押し寄せる黒い津波。
子どもたちは一斉に駆け出しました。
(Q、もうバラバラに逃げてたんですか?)
川崎杏樹さん「そうです。この辺りはもうバラバラです。整列とかは全然しないで、もう走るってバーッと走りました。はい」
600人近くの子どもたちが命からがら峠の頂上に…
その後、市内中心部へと歩き出します。
「途中であのダンプカー通りかかって、荷台に乗せていただいて小学生と中学生、何度もこう往復しながら避難所になったところまで送っていただきました」
その日の夜。
「それにしても余震多いなや」
「飲み水ありますので喉乾いた方」
川崎杏樹さん
「体育館の中がとにかく寒いのと余震が来るたび、天井が落ちてくるんじゃないかっていう恐怖感と、あとはかなり地域の方々も避難して密集していたので、もうずっと体育座りから姿勢を崩せないくらい誰かと常に肩とか腕とか脚とかが触れているような状況だったので、とてもじゃないけど安心して寝るっていうことはできませんでした」
(たき火)
凍てつく寒さの中、不安な一夜を過ごしたあの日。
(三陸鉄道)
家族は無事でした。
(バスケットシューズ出す)
今も鮮明に残るあの日の記憶。
「このバッシュは3月11日の時に実際に履いて逃げたバッシュになります」
(体育着出す)
「当日、たき火のそばで過ごしてたので、そこから飛んだ火の粉がこのように穴を開けたんだと思います。当時のもので残っているものは本当にかなり少ないのでちょっと特別なものになるかもしれませんね」
(波)
鵜住居地区では高齢者を中心に市の犠牲者の実に6割以上が命を落としました。
それでも、あの日、多くの子どもたちが助かったのは、震災前から取り組んでいた防災教育のおかげでした。
川崎杏樹さん
「実際、やっていた内容としては小・中合同での避難訓練の際には小学生をおんぶをして避難をするですとか、台車に乗せて引っ張って避難していく。地上にやってきたときの津波の速さ、時速36キロの車と生徒たち自身が競争して速さを体験してみるっていうような授業がありました」
「実際に体を動かしながら体験をしたり、実践をしたりっていう形のこの体験型の防災学習っていうのをやっていたおかげで『私は命が助かったな』っていうふうに実感しています」
あの日の記憶を紡いでいます。
「やっぱり初めて災害や防災についてしっかりと学べたっていう感想も多くありますし、感想こそが私のやりがいになってるなっていうふうに感じてます」
川崎杏樹さん
「私自身も中学校の2年生の3月11日に大きな災害に出会うなんてまったく考えていなかったんですけど、それでも命が助かったのは備えがあったからこそっていうことをお伝えしてみなさんに同じように備えっていうのを日常的に取り組んでいただければっていう思いです」
(クラクション)
人生が大きく変わったあの日。
でも、あの日を経験した私だからこそ出来ることがある。
「はい。終わりです。はい。お疲れ様でした」
次に来る災害に備えるために。
未来の命を守るために。