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戦争で亡くなった子供たちの供養碑を前に、小学校で“命の集い” 児童「精いっぱい生きようと思った」

2025年5月29日 13:53
戦争で亡くなった子供たちの供養碑を前に、小学校で“命の集い” 児童「精いっぱい生きようと思った」
2025年は「戦後80年」を迎える年。UMKテレビ宮崎は「過去を知る・未来に伝える」をテーマに戦争についての企画を放送している。太平洋戦争末期、宮崎県宮崎市でアメリカ軍の空爆により、国民学校の児童16人が命を落とした。5月、亡くなった子供たちを供養し平和を願う集いが、宮崎大学附属小学校で開かれた。

いとし子の供養碑

「いとし子の供養碑」は、1945年(昭和20年)5月11日にアメリカ軍・B29の爆撃で犠牲となった子供たちを供養する石碑。

長い間、宮崎市の住宅地の道路沿いに、ひっそりと置かれていた。

遺族の願いを受け、20年前に子供たちの母校である宮崎大学附属小の正門近くに移設され、在校生に戦争の悲惨さと平和の尊さを語りかけている。

全校児童が毎年参加する「いとし子 命の集い」

宮崎大学附属小では、毎年子供たちの命日に合わせ「いとし子 命の集い」を開いている。ことしは5月12日、全校児童約600人が参加した。集いでは、空襲で、当時9歳と7歳だった2人の姉を亡くした山本行一さんが平和への思いを語った。

山本行一さん:
昭和20年5月11日の悲劇を繰り返さないために、いつまでも語り継いでいきたい。

このあと教職員が作詞作曲した、いとし子に捧げる歌「黄色い花が咲く頃は」を斉唱した。歌では「たくさんの夢や 大きな希望も 叶わなかった人がいる」などと、被害の悲しみを伝えている。

山本行一さん:
下の姉なんて1年生だから1カ月ですよ、学園生活が。どれだけ無念だったかと思う。それでも戦争はなくならない。人間の愚かさを感じる。

参加した児童:
やり残したことや未練があったりしたんじゃないかなと思って、とても悲しくて胸が苦しくなった。

参加した児童:
100年生きるとしたら、自分はまだ10分の1くらいしか生きてないので、その状態で命を落とすのはとてもかわいそう。

参加した児童:
私たちに「頑張ってね」って言ってくれたような感じがして、精いっぱい生きようと思った。

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