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「マラソンは面白い」「ただ走りたい」陸上界の生きるレジェンド・旭化成の宗猛総監督が退任 双子の兄・宗茂さんと2人で走った54年間

2025年3月29日 0:07

旭化成陸上部 宗猛総監督:
夏のマラソンというのが当時あまりなかったので、練習がうまくいかずに苦戦した。ベストな状態ではない形でロサンゼルスオリンピックに参加した。そういう失敗があって、夏場の経験がその後の世界陸上東京大会の谷口浩美の金メダル、バルセロナオリンピックの森下広一の銀メダルにつながったと思う。我々が失敗したものを指導者になったときにどういかすか。

その後も、自らの経験を活かし、川嶋伸次、佐々木悟といった選手をオリンピックマラソン日本代表に育て上げた。

「走りたい」45歳まで走り続けた

猛さんは、副監督として後進を育てながらも、45歳までマラソンに出場し続けた。そこには、選手を指導する上でのこだわりがあったのだろうか?

旭化成陸上部 宗猛総監督:
いや、ただ単に、私が走りたいと思っていて、兄貴に相談したら「走ったらいいじゃん」と言われた。自分が走る試合を選んで、45歳まで走った。

Q.率直に、マラソン自体が好き?

旭化成陸上部 宗猛総監督:
面白い。練習も、次の試合のことをイメージしながらやっていくし、自分で自分の体を作っていって、レースでその力を出すという、非常に面白いなと思っていた。

数多くの駅伝大会で優勝を重ねる

旭化成陸上部はマラソンだけでなく、駅伝の世界でも結果を残し続けてきた。九州各県の誇りをかけてタスキをつないだ 『九州一周駅伝』では、宮崎県の36回もの優勝に貢献。毎年元日に行われるニューイヤー駅伝=全日本実業団駅伝では史上最多の26回の優勝を誇っている。

しかし、「勝って当然」のチームだからこその苦悩があった。旭化成は、1990年代は10回中9回も優勝した。しかし2000年から2016年まで優勝できない時期が続いた。

旭化成陸上部 宗猛総監督:
2025年のニューイヤー駅伝では26回目の優勝をしたけど、90年代は非常に良い時期もあったし、その後、十何年も全然勝てなくて、という時期もあった。そんな色々な流れの中で頑張ってこられたのは、やはりうちの会社の応援、社員の応援。そして地域の延岡市、あるいは宮崎県民の応援があったからだったと思う。

テレビ宮崎