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姉と共に夢の「デフリンピック」出場目指す酒田市の陸上アスリート 5月の選考会に挑む

2025年4月4日 16:47
姉と共に夢の「デフリンピック」出場目指す酒田市の陸上アスリート 5月の選考会に挑む

耳が聞こえない、聴覚に障害があるアスリートたちの祭典「デフリンピック」で、25回目のことしの大会は日本の東京で初めて11月に開催されます。この大会に出場を目指す酒田の陸上選手を取材しました。

聴覚障がい者のための国際的なスポーツの祭典、デフリンピック。耳が聞こえない人を示す「デフ」という言葉とオリンピックとを組み合わせた名前の大会は、1924年にパリで第1回大会が開催され、4年に1度開かれています。ことしの11月には日本での初めての開催が決まっていて、いま注目されています。
実はそのデフリンピックへの出場が有望視されているアスリートの一人が、いま県内で練習に励んでいます。
バネのある走りが強みの、酒田市の斎藤丞選手(23)。デフリンピックの陸上競技、男子1500メートルと5000メートルへの出場を目指しています。
斎藤選手は普段、両耳に「人工内耳」という聴覚を補うための医療機器を埋め込んでいます。この機器を使わなければ全く音が聞こえません。
人工内耳を使ったとしても十分に言葉を聞き取れないことがあり、その際は相手の唇の動きから言葉を読み取っているということです。

斎藤丞選手「4年前のデフリンピックに選ばれることができなかったのでその悔しさでことしのデフリンピックは絶対出たい」

斎藤選手は去年11月から12月にかけて開かれたデフ陸上の日本選手権男子1500メートルと5000メートルに出場し、ともに準優勝。
デフリンピック日本代表の選考会を5月に控え、現在は、母校の酒田南高校駅伝部のメンバーとともに練習に励んでいます。

斎藤選手の後輩「陸上のことだけじゃなくて楽しいゲームの話もしてくれる憧れの先輩です」

酒田市で生まれた斎藤選手は2歳の頃に、重度の難聴とわかりました。
陸上との出会いは、酒田市の特別支援学校の中学部に通っていた当時、東北地区の聾学校の大会に出場したことがきっかけです。

斎藤丞選手「走ってみて“走るってこんなに楽しいんだな”それがきっかけでもっと長く走りたいと思った」

その後、斎藤選手は本格的に陸上に取り組める環境を求めて酒田南高に入学。駅伝部に入りました。
恩師の阿部亮監督は、聴覚障害のある部員の指導は斎藤選手が初めてだったと振り返ります。

酒田南高校駅伝部 阿部亮監督「日常会話の中でもある程度ゆっくり話をしないと伝わらない部分もある。競技に対して貪欲に取り組む姿勢がありコミュニケーションをしっかりやれば本人が理解して練習に取り組めば強くなる」

度重なるケガに見舞われながらも、必死に練習についていった斎藤選手。

3年生の時には、目標の県高校駅伝の出場メンバーに入り、区間2位の走りを見せました。

斎藤丞選手「記録も少しずつ伸びてきて目標を達成できたので嬉しかった」

高校卒業後は、酒田市内の電子部品メーカーに就職。現在は、プリンターの重要な部品の組み立てを担当しています。

斎藤選手の上司「笑顔が素敵な好青年です。音のうるさい工程だと聴覚障害のため頭が痛くなることがあるので働きやすいところに配属させている」
職場の先輩「入社当初からデフリンピックに出るのを目標にしていた。しかも楽しそうにうれしそうに話すんですよ全力で頑張ってこいって背中を押してあげたい」

斎藤選手には、同じく聴覚に障害がある姉・京香さんがいます。その京香さんは、前回ブラジルで開催されたデフリンピック水泳女子100メートルバタフライに出場し、見事優勝した金メダリストです。姉の快挙は、当時、日本代表入りを逃し、競技を辞めることも考えた斎藤選手にとって、大きな励みになりました。

斎藤丞選手「京香さんが世界一を取った姿を見て『かっこいい』。姉と一緒にデフリンピックに出たいという気持ちが高まっておかげで自分も今も陸上を続けられている」

家族や恩師、さまざまな人たちの支えを受けながら、夢のデフリンピック出場を目指します。

斎藤丞選手「日本代表に選ばれることを一番に目指して陸上経験がなかった私を阿部監督が受け入れてくれたその恩返しをしたい」

デフリンピック陸上競技の選考を兼ねた日本選手権は5月5日から埼玉県で開かれます。

最終更新日:2025年4月4日 20:15