再開発で姿消す大阪の景色『大阪マルビル』はカバーですっぽり『うめきた地下道』は100年の歴史に幕

大阪の玄関口・キタエリアで、見慣れた街の光景が見納めとなっている。ランドマークとして親しまれてきた「大阪マルビル」、そして大阪駅から梅田スカイビル周辺の西側エリアを結んできた「うめきた地下道」。大阪駅周辺を歩けば、当たり前のようにあったものが、“時代の流れ”、“再開発”により、その姿を消そうとしている。
■最上部「大阪マルビル」の文字が隠される
老朽化や周辺施設に対する競争力の低下などを理由に解体が決まり、今年5月末に全てのテナントの営業が終了した大阪マルビル。11月7日に記者が近くを通ったところ、解体のために覆われた灰色のカバーのようなものが、最上部の『大阪マルビル』の文字のすぐ下まで迫ってきていた。
解体作業は夏から始まっていたが、「いよいよマルビルも見納めか」と思わされた。作業の進捗ペースは速く、その4日後の11日には、「大阪マルビル」の文字は完全に隠れてしまった。
「家族で食事をした」「仕事の会食で利用した」「恋人と待ち合わせした」そんな思い出がある人も多いのではないだろうか。
マルビルが誕生したのは1976年。「日本“初”の円形超高層ビル」「大阪で最も高いビル」などど話題を呼んだ。
読売テレビに残る開業時の映像には、大阪の街並みの中でひと際高く、まさに“ランドマーク”として存在感を示すマルビルの姿が記録されている。
1980年代前半には海外のブティックなどによるファッションショーなどが行われ、さらにディスコブームの火付け役となったマハラジャも登場。バブル期の流行の発信する場所となった。
最上部の回る電光掲示板は、2万6000個の電球が最新のニュースを待ちゆく人々に伝え、阪神タイガースが優勝した時も、2002年の日韓ワールドカップで日本代表が決勝トーナメント進出を決めた時も喜びを届けてくれた。
■多くの人の通勤支えた地下道も閉鎖
11月8日、JR大阪駅北側のうめきた地区にあるうめきた地下道が閉鎖された。
うめきた地下道は、1928年に大阪駅の北側に旧国鉄の貨物駅ができたことを受けて作られ、大阪駅から梅田スカイビル周辺の西側エリアを結ぶ経路として利用されてきた。晴れの日も、雨の日も、平日は通勤・通学の人たちが、休日は遊びにでかける人たちが多く利用し、時に混み合うことも。
利用者は多くいるものの、周辺のうめきたエリアで開発工事が進み、JRの線路が地上から地下に切り替わったため、地下道は徐々に閉鎖され地上の通路へと切り替わっていった。
そして、11月8日に地下道は閉鎖され、約100年の歴史に幕が下ろされた。利用者からは、「30年くらい通った。地上の通路はかなり遠回。雨の日大変やと思う」と地下道が良かったという声や、逆に「地下道がなくなっててびっくりした。地下道だと雨の日、人でかなり詰まるので遅刻しそうになった。地上だと詰まる心配がない」との声も聞かれた。
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10年越しで進んでいる大阪駅周辺の再開発。マルビルを所有する大和ハウス工業によると、ビルは建て替えられ2030年春に再び開業する予定で、新たなビルは今よりも高くなり、形は丸い形にこだわりたいということ。
ビルの解体や見慣れた地下道の閉鎖に寂しさを感じる一方で、どんな“マル”ビルが出来上がるのか、どんなうめきたエリアが誕生するのか、新たな街の姿に期待が膨らむ。