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【特集】平成以降“最悪”の列車事故…生存者が語る「20年たって見えたこと」

2025年5月10日 11:00

 遺族と交流する中で、犠牲となった人たちが「電車内のどこにいたのかを知りたい」という思いを抱えていることを知り、その場所を特定する活動を始めました。

(小椋聡さん)
「一番多くの方が亡くなった2両目で生き残った自分の役割は、ここにあると思いました」

 最終的に、10人以上の犠牲者が乗っていた「車両」が分かり、うち2人は「乗車位置」も突き止めることができました。

 事故から20年…小椋さんは、事故の生存者らとともに、一冊の本を出版しました。

(小椋聡さん)
「JR福知山線の脱線事故から、(2025年)4月25日で20年を迎えることになります。『わたしたちはどう生きるのか』という書籍を発刊させていただきました」

 この本は、事故の被害者をはじめ、いろいろな立場の人が「つらく悲しい」出来事のあと、人生を「どう生きてきたのか」というヒントが詰め込まれているといいます。

 執筆者の1人、福田裕子さん。

(福田裕子さん)
「あってほしくはないけれど、今後、自分の身に何か起こってしまった時の対処の仕方の1つとして書きました」

(『わたしたちはどう生きるのか』より福田さんの文章)
【災難に遭ったとて、人は只人であり、これからも先を生きていくことに変わりはなく、そう言った意味で特別な人などいないのだと思う】

 事故当時、芸術大学に通っていた福田さんは、友人と一緒に1両目に乗っていて、鎖骨を骨折するなどの大けがをしました。

(福田裕子さん/2005年5月)
「身動きをとったら、下の方から『痛いから動かないで』と聞こえたので、『えっ 下に人がいる』と思って。こういうのを地獄と言うのかな」

 救出された時の空は、青かったー。

 福田さんは、事故が風化するのを防ごうと、毎年、栞に青空を描き、沿線の駅で配っています。鮮やかな色合いの中に、ぼんやりと浮かぶ人の姿。事故以降、人をはっきりと描くことはできません。

(福田裕子さん)
「(事故の)車内で感じた人の“硬さ”や“軟らかさ”を思い出してしまうので。人の絵は、私にとってハードルが高いと思いますが、(自分の)子どもの姿も残しておきたいし、自然と描けるようになりたいです」

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■「どう生きるのか」…被害者だけでなく、加害企業も