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北朝鮮の大物工作員・辛光洙(シン・ガンス)――数々の拉致事件に関与した男

日本政府が北朝鮮による拉致の被害者として認定しているのは17人。このうち数人の拉致に北朝鮮の大物工作員・辛光洙(シン・ガンス)容疑者が関与したとみられている。

【辛光洙容疑者】【辛光洙容疑者】

この男の存在が明らかになったのは、1985年、韓国でのことだ。当時、韓国で工作活動に従事していた辛光洙(シン・ガンス)容疑者はソウルで韓国当局に逮捕された。その取り調べで、日本人の拉致や、拉致した人になりすます「背乗り(はいのり)」の実態を自供している。この背乗りに利用されたのが日本人の原敕晁(はら・ただあき)さんだった。原さんは1980年、この辛光洙容疑者に宮崎県の海岸まで誘い出され北朝鮮に拉致されている。その後、辛光洙容疑者は原さんになりすましてパスポートを取得、日本や渡航先の韓国で工作活動に従事していた。辛光洙容疑者は韓国滞在中に逮捕され、一旦は死刑判決が言い渡されが無期懲役に減刑された。

【拉致された原敕晁さん】【拉致された原敕晁さん】
【原敕晁さんに成りすまし免許証も取得】【原敕晁さんに成りすまし免許証も取得】

この当時、日本ではまだ拉致疑惑そのものが取り上げられていなかった。1997年になってようやく拉致疑惑がメディアで報じられるようになったが、辛光洙容疑者の存在は広くは知られていなかった。服役中だった辛光洙容疑者は1999年に韓国大統領による恩赦により釈放、2000年には北朝鮮に強制送還されている。送還後、北朝鮮は辛光洙容疑者を、韓国で獄中にいる間も金正日総書記への忠誠心を失わなかった「非転向長期囚」として英雄扱いし、記念切手も発行されている。日本国内で数々の拉致事件に関与していたと発覚するのはその後だ。

【祝福される辛光洙容疑者】【祝福される辛光洙容疑者】
【記念切手】(1)【記念切手】(1)
【記念切手】(2)【記念切手】(2)

数々の拉致事件に関与

辛光洙容疑者は1980年6月、在日朝鮮人の男性が経営する大阪市の中華料理店で働いていた原敕晁さん(当時43)に対し「いい仕事がある」と宮崎市の青島海岸に誘い出し、工作船にのせて拉致したとされる。また、1978年に福井県小浜市で地村保志さんと濱本富貴恵さんを拉致したとされ、地村さんは連れ去られる船の中で辛光洙容疑者から「大丈夫か」と声をかけられたという。両事件で逮捕状が出ている。
曽我ひとみさんによれば、横田めぐみさん拉致にも関与したとされる。北朝鮮では、横田めぐみさんと曽我ひとみさんの教育係として、朝鮮語や北朝鮮の文化について教えていた時期があり、めぐみさんはその際、辛光洙容疑者から「拉致したのは俺だ」と言われたという。また「義務教育だけは習わせないとな」と言って、日本語で数学や理科も教えていたという。

近影が朝鮮中央テレビに

【1列目左から3番目の白髪の人物が辛光洙容疑者とみられる】【1列目左から3番目の白髪の人物が辛光洙容疑者とみられる】

北朝鮮に送還されてからはその姿を見ることがなくなっていたが、その近影がある日突然、飛び込んできた。2016年7月、北朝鮮の国営放送、朝鮮中央テレビに辛光洙容疑者とみられる男が映っていたのだ。平壌での祖国解放戦線70周年記念を伝えるニュースで、参列する多くの人の中にその姿があった。これ以降、消息は掴めていないが、辛光洙容疑者は現在、90歳を超える。

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