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【特集】“運命のタックル”が変えた2人のラガーマンの未来 ケガした選手は「頸椎損傷」、ケガさせた選手は“縦隔がん”に…試練と闘いながら再びグラウンドでの“ワンプレー”を目指す、2人の友情と復帰に密着

2024年3月24日 14:30
【特集】“運命のタックル”が変えた2人のラガーマンの未来 ケガした選手は「頸椎損傷」、ケガさせた選手は“縦隔がん”に…試練と闘いながら再びグラウンドでの“ワンプレー”を目指す、2人の友情と復帰に密着
“ワンプレー”が2人の運命を変えた―

 “フィールドの格闘技”ラグビーに人生を懸けた2人の選手、中川将弥(まさや)さんと田中伸弥(しんや)さん。高校時代から良きライバル・友人として、切磋琢磨していました。しかし2017年、田中さんから受けたタックルにより中川さんは頸椎を損傷し、車いす生活に。そして、田中さんにも“縦隔がん”という試練が…。“ワンプレー”から変わったラガーマンたちの未来―今も続く熱い友情と切なる想い、そして復帰への闘いの日々を取材しました。

試合中のタックルで頸椎損傷、プロ契約も白紙に…車いすのラグビー選手・中川将弥さんが目指す未来「僕自身はどこかで『ラグビーできる』と思っている」

 ある“ワンプレー”をきっかけに車いす生活となったラグビー選手、中川将弥さん。当時、京都産業大学のキャプテンで、プロ契約も決まっていましたが、試合中に受けたタックルによりグラウンドに倒れました。

(中川将弥さん)
「ケガをした時に一瞬、意識が飛んだんですけど、すぐに戻って。父に足をさすられても感覚がなかったので、そのときに『大きいケガをしてしまったのかな』と」

 診断の結果は、頸椎損傷。医師からは、「一生車いす生活になると思う」と告げられました。

(中川さん)
「今もですけど、治ると思っているので。周りから見たら『治らない』と思われているかもしれないですけど、僕自身は、どこかで『ラグビーできるやろう』と、『歩ける』と思っているので、別に深くというか、悲しい気持ちにはならなかったです」

 足は動かず、決まっていたプロ契約も白紙に。それでも、15年以上続けていたラグビーへの思いは、消えませんでした。

 懸命なリハビリの日々。今では、30分程度なら自分の足だけで立てるまでに回復しました。

 中川さんは今、強豪ラグビーチームを持つ『島津製作所』で、社内施設のバリアフリー化や安全管理を担当する傍ら、チームの選手兼コーチとしてラグビーを続けています。

ケガを『した選手』と『させてしまった選手』が互いに迎えた“試練” 学生時代からのライバル同士励まし合い、乗り越えた…ように思えたが— 告げられた“非情な宣告”

 中川さんが、“選手としての復帰”にこだわる理由。そこには、学生時代からのライバルの存在がありました。

(中川さん/2022年「近畿大学」での講義で)
「2017年11月25日、近畿大学との最終戦でケガをしてしまったんですが、ぶつかってきた相手というが、隣にいる伸弥です。すごく、えげつないタックル。僕の体勢が悪かったというのもあって、頸椎を損傷してしまいました」

 田中伸弥さんは、近畿大学のラグビー部を経て、今は「ジャパンラグビーリーグワン」の『三菱重工相模原ダイナボアーズ』に所属しています。中川さんにとって田中さんは、学生時代から切磋琢磨してきたライバルであり、“あのワンプレー”で中川さんにタックルをした選手でもあります。

(田中伸弥さん)
「その時は、ケガのことはあまり考えていなかったので、必死にプレーしていたという感じです。ラグビーだから仕方ないと思うようにしていたが、自分がケガさせてしまったので、すごく落ち込みました」

(中川さん)
「僕もですけど、伸弥も近畿大学が全国大会に行くために頑張ってきて、僕も試合を通してわかっているので、その中でのケガは仕方ないです。正々堂々試合して、僕が負けたと思っているので、恨むところは本当にないです」

 今でも言葉を交わし合う2人は、共に闘ってきた友人です。

 実は、田中さんもまた、大きな壁を乗り越えてきた選手でした。

 学生時代は近畿大学の中心メンバーとして、ラグビーに打ち込んでいた田中さん。しかし、大学4年の冬、せきが止まらず病院へ行くと、“縦隔がん”で「5年生存率は50%」と告げられました。中川さんとの試合から、わずか10日後のことでした。

(田中さん)
「もう生きるために必死で、頑張れた理由は、シンプルに『もう一回、普通の生活に戻りたい』という、ただただ、その思い。その時は、正直ラグビーしたいとはこれっぽっちも思っていなくて、『普通の生活をして、普通に生きたいな』と」

 先が見えない中、もう一度ラグビーに導いてくれたのは、大ケガでリハビリを続ける中川さんでした。

―(中川さん/2017年当時・メッセージアプリで)
―「まさややで!しんやもがんになんか負けやんとガッツ溢れる感じで頑張れよ!応援してる!俺も死ぬ気でがんばるし!頑張ろな!」

―(田中さん/2017年当時・メッセージアプリで)
―「しんやです。何言ったらいいかわからんけど、とりあえずまさやは、いつもの明るい感じで頑張ってください。俺も抗がん剤を打ちながら、がんと闘ってます。お互い頑張ろー!」

(田中さん)
「男同士なので、正直、用がなかったら連絡も取らない感じなので。元気でラグビーしている姿を見せてあげられれば、と思います」

 がん宣告から5年が経った、2022年8月。ライバルや周りの支えもあり、田中さんの病状は回復しました。

(田中さん)
「今は、かなりできることも多くなって、徐々に体を動かせる喜びを感じながらやっています。『ディビジョンワンで1試合でも多く試合に出られること』を目標に掲げて、やっています」

 しかし―。

 経過観察のため病院を訪れた田中さんの口から、思いもよらない言葉が…。

(田中さん)
「正直、ラグビー引退します。戻れない。これ以上できない。治療に専念しないといけないので」

 医師から告げられたのは、再びの“がん宣告”でした。

Q.前回より深刻だったんですか?
「深刻ではないけど、がんの場所も出てきていなので、初期といえば初期ですけど…。もう、ちょっと、どうしようもないです。ちょっと待ってください。何していいか、わからない。何からしていいか、わからない。…もう、今日はお帰りください。ありがとうございました。ごめんなさい」

 この日を境に、田中さんからの連絡は途絶えました―。

がん治療中もウエートトレーニングに励み、ラグビー選手として復活!いつかまた、2人でラグビーを…「『頑張ったらやれる』。僕の頑張る源」

 がん再発から1年7か月経った、2024年2月。

 再びグラウンドに、田中さんの姿がありました。治療の末、ラグビー選手として復活を果たしたのです。

(田中さん)
「去年は入院していて、何もできなかったので、何もかもが新鮮だし、一歩一歩進んでいると思います」

 中川さんも、復帰した友人・田中さんの姿を見守りました。

(中川さん)
「体、めっちゃデカくなっていますよね。がんですよ?がん治療中もウエートトレーニングしていたって、言っていました。世の中探しても、コイツだけやと思います」

(中川さん)
「やっぱりタックルは健在だなと思いましたし、がんだったのにあれだけ動けるのは、すごく努力したんだなと思いました。『頑張ったらやれる』というところを伸弥は見せてくれて、僕もそれが支えというか、頑張る源になっているので。本当にすごい奴だと思います」

 “ワンプレー”が変えた、2人の未来。お互い望むのは、ただ一つ―。

(田中さん)
「もう一回、『ラグビーしよう』って言いたいです」

(「かんさい情報ネットten.」2024年2月23日放送)