【回顧2024】韓国大統領“弾劾案可決”前夜のソウルを緊急取材…現場で見えた怒りの根源とは
2024年12月3日、韓国で突如行われた「非常戒厳」。翌週の14日までに弾劾案が2度にわたり採決され、可決されました。『ウェークアップ』では、弾劾前夜のソウルを緊急取材。現場で見えた怒りの根源とはー。
■「非常戒厳」尹大統領が正当化で混乱する韓国
弾劾採決前夜のソウル・国会前。「逮捕!逮捕!内乱罪逮捕!」と声をあげながら、与党本部に向かって進むデモ隊の列がありました。市民らが、逮捕を求めているのは、尹大統領。このデモの前日、「戒厳」宣言後2回目の談話を発表し、「戒厳」は内乱ではないと主張したのです。
韓国・尹錫悦大統領
「私が弾劾されても捜査されても。堂々と立ち向かうつもりです。私は巨大野党の議会独裁に対抗し、大韓民国の自由民主主義と憲政秩序を守ろうとしたのです。(戒厳の宣言は)大統領の憲法上の決断であり、統治行為がどうやったら内乱になるのでしょうか?」
そして、野党を批判する談話も発表。
韓国・尹錫悦大統領
「野党は北朝鮮の不法核開発による国連の対北制裁を解除すべきだと主張しています。戒厳の目的は、国民に巨大野党の反国家的な悪を知らせこれを止めるよう警告するものでした。」
実は、最大野党「共に民主党」の李在明代表をめぐっては数々の疑惑があります。
11月、公職選挙法違反で、懲役1年、執行猶予2年の有罪判決を言い渡されている李代表。尹大統領は「上級審の判決が迫っていて、それを避けるため、早期の大統領選挙を行おうとしている」と批判しました。
その李代表は、尹大統領の談話について―。
『共に民主党』李在明代表
「大統領の今日の談話は本当に多くの国民を絶望させました。大統領の弾劾や職務停止は国家と国民の安全のために必ず必要であることを自ら証明したのです」
■弾劾案、2回目で可決 与党の対応は二転三転
野党は12日、2回目の弾劾訴追案を提出、14日に採決の末、可決されました。
焦点となったのは与党の造反。可決には与党から、少なくとも8人が賛成する必要でしたが、与党代表の対応が二転三転。当初は大統領に弾劾ではなく早期退陣を迫ってきましたが…。
与党『国民の力』韓東勲代表
「談話は事実上内乱を自白する趣旨の内容でした。私は党論として弾劾に賛成しようという提案を申し上げます」
尹大統領の談話を受け、弾劾訴追案に賛成する意向を示しました。その後、再び弾劾に反対することを決めましたが、最終的には8人以上が造反し、賛成。弾劾案は可決されました。
尹大統領の逮捕に向けた、動きも加速しています。
11日、韓国警察は尹大統領の職場、韓国大統領府の家宅捜索に踏み切りました。ところが、軍事機密を扱う場所への捜索が法律で制限されていて、警察は大統領府側の足止めを受け中に入るのを断念しました。
一方、韓国メディアによると、韓国警察は、尹大統領による非常戒厳にからむ内乱の疑いで拘束していた警察庁長官らを逮捕しました。さらに検察は、「非常戒厳」を進言したとして、内乱などの疑いで尹大統領の "最側近"・金龍顕前国防相を逮捕。その後、拘置所で自殺を図った金前国防相でしたが、命に別条はないということです。
■“弾劾案可決前夜” 抗議デモから見えた変化
突然の「戒厳」の宣言に対し、市民は、連日、抗議デモを行っています。
朴槿恵元大統領の弾劾集会の際にも日本で大きく報じられた「ろうそく集会」。一転、今回はろうそくの代わりに好きな歌手やアイドルのペンライトを持つ人々の姿が目立ちました。ペンライトを売るコンビニや露店も。なぜペンライトなのか、20代の参加者に尋ねると―
参加した女性(左)
「自分たちが好きなKーPOPアイドルのペンライトを持ってきました。ろうそくの代わりをしています。自由の象徴じゃないですか」
1回目の弾劾案採決の際は30万人以上が集まったと報じられ、通信障害を防ぐための移動基地局や、警察のバリケードや車両も多数展開されていました。参加者で多いのが若者で、小学生の子どもを連れて訪れる家族の姿も見られました。
■「“逮捕リスト”記載のデモ主催者」・「非常戒厳の検討文書入手の野党議員」を独自直撃
『ウェークアップ』は、デモ会場で2人のキーパーソンに話を聞きました。
まずは、市民デモを主催する、キム・ミンウン氏。尹大統領が今回の非常戒厳で準備したとされる「逮捕名簿」に、自らの名前があったといいます。
『ろうそく集会」』主催者 キム・ミンウン氏
「50年前、20代のときに非常戒厳がありました。当時、学生運動をしていました。どんなに恐ろしいことが起こるか知っていたので、すぐに身を隠しました」
もうひとりのキーパーソンが、最大野党「共に民主党」のチュ・ミエ議員。今回の「非常戒厳」の検討文書を入手した人物です。
検討文書の8ページ目には、赤字で「強調事項」と書かれ、その下には、「本布告に違反した者は令状なしで逮捕などができる」と書かれています。
(Q:尹大統領の戒厳令の計画について)
『共に民主党』チュ・ミエ議員
「尹大統領の「非常戒厳」の検討文書は、全斗煥元大統領が行った戒厳令の部分をかなり引用していました。すでに40年前の民主化前にやったことですが、すべて憲法もそのときと違いますし、憲法改正をしたので、あのような非常戒厳を出すことはできません」
■血を流して勝ち取った“民主主義”…拷問で死亡した大学生の後輩が流した涙
1980年代、全斗煥の軍事政権下で戒厳令が出され、武力弾圧が行われました。韓国の市民が民主化を勝ち取るまでには、多くの犠牲者が出ました。
韓国が民主化されたのは37年前。その大きなきっかけとなったのが、当時ソウル大の学生で拷問の末に亡くなった朴鍾哲さんです。ソウル大学の学生街の一画には朴鍾哲さんの銅像が設けられていて、取材班が訪れると、現場には尹大統領が戒厳を出した次の日に市民が置いた花束が手向けられていました。
1987年、ソウル大学の学生だった朴鍾哲さん(21)が捜査員5人による取り調べ中、水を使った拷問で窒息死しました。これに国民は怒り、民主化要求の大きなうねりとなりました。
朴鍾哲さんと民主化の歴史について、展示された記念館があります。館長のイ・ヒョンジュさんは朴さんの1年後輩で親しい間柄だったといいます。
『朴鍾哲センター』イ・ヒョンジュセンター長
「朴さんの死を聞いたとき、悲しかったです。思い出すのは、私たちが『一つだけ約束しよう!朴鍾哲先輩の死の真実が明らかになる日まで、あきらめずに努力しよう!』そんな誓いを立てたことです。民主主義は、時代が変わり時間が経過したらますます発展すると思っていたのに、私たちが守らなければ守られない、壊れることもあるという怖さも感じる」
民主主義への思いは、いまの若者にも受け継がれています。
学生
「韓国で40年近く民主主義が続いてきたのは、朴鍾哲さんはじめ、みなさんが闘争して守ってきたからです」
今回の「戒厳」宣言後に記念館を訪問したある来館者は、ノートにこう記していました。
「知恵をもって乗り越えられるよう、私たちに勇気をください」
■<取材後記>いまなお大統領と戒厳に深い関係…韓国の人々から感じた「民主主義を守る決意」と「憤り」
今回、現地で取材を進めると、民主化から40年近くが経ったいまも、大統領と戒厳には密接な関係があることが分かってきました。実は7年前に弾劾の末、罷免された朴槿恵元大統領も戒厳を計画していたことが明らかになっていて、韓国の人権団体が、当時の秘密文書を公開しています。文書からは、国防部が戒厳の条件や方法を具体的に検討していることが読み取れ、尹大統領がこうした前例を知っていた可能性も指摘されています。
『軍人権センター』キム・ヒョンナム事務局長
「尹大統領は朴大統領を捜査していた当時の検察の責任指揮部にいました。ですから、その戒厳文献の捜査がどのように行われるかをよく知っており、戒厳を切り出せないということをよく知っていたはずです。本人が捜査を担当する機関で捜査した事案を活用して似た内容の違法戒厳令を宣言し、履行したというのは衝撃的なことだと言えます」
デモに参加した人々からは、政治的な思想の違いを超えて、先人たちが血を流して勝ち取った民主主義を決して後退させてはならないという強い憤りを感じました。
舞台は憲法裁判所に移り、弾劾の最終判断は早ければ2月。韓国の民主主義はどこへ向かうのか、2025年も注目です。