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能登半島地震から半年 倒壊した家屋の解体できず復旧・復興は「前に進まん」 もどかしい状況続く被災地

2024年7月2日 11:47
能登半島地震から半年 倒壊した家屋の解体できず復旧・復興は「前に進まん」 もどかしい状況続く被災地
半年たっても進んでいない復旧・復興
能登半島地震の発生から7月1日で半年が経過しましたが、今も多くの人が避難生活を余儀なくされています。中京テレビの取材班が現地の今を取材しました。

進まない復旧・復興 「まだまだ全国からいろんな支援が必要」

6月29日、発災から半年を前にした珠洲市宝立町。町を歩くと草が伸び放題になっていて時の流れを感じる一方、電柱は傾き、マンホールが地面から突き出た状態が、今もそのままとなっています。周囲には解体作業が始まらず、崩れたままの住宅も。解体作業が終わった家屋も、隣には木材や屋根瓦が積まれている状態です。

現地では、被災した家屋の中を片付けるボランティア活動が行われていましたが…。

神戸市からのボランティア参加者:
「全然1月の状態から変わっていないんじゃないかと思う。聞きはしていたが、実際来てみたらすごい状況で、まだまだこれから全国からいろんな支援が必要なんじゃないか、長い支援が必要なんじゃないかと思います」

現場を歩いていると、当時の光景が思い出されました。傾いた家の中から聞こえる消防隊員の声。救助した被災者に『寒い仲良く頑張ったね』と声を掛け、手を合わせていた様子。

今年1月5日、珠洲市の観光名所「見附島」近くでは、住宅は倒壊し、家財道具が道路に散乱。マンホールは地面から飛び出して道路をふさいでいました。新しい年を迎えたばかりの街は一変してしまったのです。

半年たっても周辺は断水したまま 現在も避難所生活を続ける人たち

珠洲市立宝立小中学校に設置された避難所。運営を担っていた多田進郎さんによると、ここには、1月1日の時点で一挙に720人が避難し、それからも少しづつ増えて、一時は800人近くになったといいます。町の人口は少ないのですが、正月で帰省していた人たちも避難したためです。多田さん自身も自宅が全壊し、この避難所で生活していました。

このあたりは近所同士のつながりが強い地域。近隣から持ち寄られた食材で炊き出しをするなどして、住民が力を合わせて困難な状況に立ち向かってきました。

避難所を運営 多田進郎さん(1月のインタビュー):
「まず自分たちの力で今できることをなんとかやっていこうと。ひとりじゃないよ、被害を受けた、同じ恐怖体験した者が集まっているという。それが力になったんじゃないかな」

その後、宝立小中学校の校庭には、153戸分の仮設住宅が建設されました。学校は授業を再開しましたが、元々60人いた小中学生は当時の半数程度に減っています。

避難所を運営 多田進郎さん:
「昔のような地域づくりができるのか。(住民に)いろんな感情があって、ここに住もうかどうしようか、慣れ親しんだ地域だから住みたい、住むためにはどうすればいいかという課題もある」

発災から半年。学校は水が使えるようになっていますが、周辺は断水したまま。まだ校内で避難生活を続ける人もいます。自宅に戻った人たちも、自衛隊が設営した避難所の風呂に入りにきているといいます。

「これまでに見られないスケールの被害」 断水解消の地道な作業続く

一部地域で断水が続く輪島市。ここで復旧作業にあたっているのが、名古屋市上下水道局の職員です。水道管の損傷具合を調査し、損傷があった場合は工事業者に修理してもらって断水を解消しています。

漏水がないかどうか、一箇所一箇所チェックする職員たち。作業をしていると、地元の人から漏水している場所があると声をかけられました。

現場に急行すると、水がちょろちょろと漏れている止水栓が。こうした漏水も一つ一つ直していかないといけません。すぐに作業をはじめ、漏水を止めました。

発災から半年が経ちますが、このような地道な作業が続いています。断水が長引いている背景には何があるのでしょうか。

名古屋市上下水道局 大山智さん:
「今までの地震と比べると大きな揺れ、大きな地盤変動があった。これまでに見られないようなスケールでの被害があった」

配水管や浄水場にも大きな被害を受けたという輪島市。復旧作業にあたる名古屋市の職員たちは、地震への備えとして「水の備蓄」が重要だと話します。

「この先って言っても分からない」 居場所を転々としながら地元に残る親子

6月30日、珠洲市宝立町。中京テレビの取材班が会いに行ったのは、中島由起さんと、母親の英子さん親子。地震と津波で倒壊した自宅を離れ、5月から「みなし仮設」のアパートに身を寄せています。

メゾネットタイプの1人用アパートに2人で暮らす中島さんたち。避難所よりは気持ちは楽になった反面、情報が入らず地域から外れた感じがすると話します。

取材班が中島さん親子と最初に出会ったのは、発災5日目の日でした。中島さんたちは避難所と倒れかけた家を何往復もして、必要なものを運び出していました。飼っていた猫「ノラ」の姿も、地震の日から見えなくなってしまったといいます。

その後、2人は居場所を転々とする生活が続きました。6月29日に再び自宅を訪ねると、雨や風に加え、その後も続いた大きな揺れで、家は徐々に崩れていました。公費解体を申請しましたが、時期は決まっていません。

「解体業者も忙しいから、なかなか。7月中頃にできればいいけど…」と話す由起さんの隣で、母親の英子さんは「進まんわ、前に」とつぶやいていました。

半年前にいなくなったノラも、まだ見つかっていないといいます。

英子さんは、金沢に住む家族から一緒に暮らそうと誘われていますが、「自然が大好きだから都会には行きたくない。やはりここにおりたい」と、住み慣れた場所に残ることを望んでいます。
この先のことは、あまり考えないようにしているという中島さん親子。

中島由起さん:
「この先って言っても分からないです。本当に分からないんです、復興って言われても」

7月1日、能登半島地震が発生した午後4時10分には、各地で黙祷が捧げられました。半年が経過してもなかなか進まない被災地の復旧・復興。手助けしたいという人も多い中、現在ももどかしい状況が続いています。

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