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「核がなくなるまで」被爆者らが毎月行う “反核9の日座り込み” 500回の節目迎え新たな決意《長崎》

2024年8月4日 18:00
「核がなくなるまで」被爆者らが毎月行う “反核9の日座り込み” 500回の節目迎え新たな決意《長崎》

平和公園で行われる「反核9の日座り込み」が今年6月、500回の節目を迎えました。

世代を超えて伝えたい願いがあります。

焼けつくような猛暑日も、雨の日も、雪の日も。

感染症が猛威を振るう中でも…。

毎月9日に平和公園で続けた活動が “500回目” を迎えました。

(県平和運動センター被爆連 川野 浩一 議長(84))
「戦争をなくさない限り、私たちに平和はない。達成できなければ、私たち人類は滅ぶ。そのことを肝に銘じて、きょうの500回目を迎えた」

6月9日。平和祈念像の前では「反核9の日座り込み」の準備が行われていました。

(県平和運動センター 平野 忠司事務局長(68))
「雨が上がったことが一番うれしい。雨が降るのと降らないのとでは、全く参加の数も違うし気持ちも違う。若い人たちが増えてきたことが一番ありがたい。そして一般の方も少しずつ。もちろん被爆者の方もいるが、被爆者は少しずつ減ってきている」

(被爆者 竹下芙美さん(82))
「よく座ったって何の意味もなかやろうって、近所の人からも言われる。だけども、やっぱり自分が“反戦 反核を望んでいる” という意思を公で示さなければいけない」

(県平和運動センター被爆連 川野 浩一 議長(84))
「元気やった?」

(参加した女性)
「おかげ様で何もないけど、やっぱり足がだめね」

被爆者の川野 浩一さん84歳。

座り込みを主催する 県平和運動センターの被爆者連絡協議会の議長を務め、30年以上、ほぼ毎回 参加してきました。

(県平和運動センター被爆連 川野 浩一 議長(84))
「当面は500回を目指してずっと頑張ってきた。500回を過ぎた後に、次は1000回を目指すのか。1000回だと40年以上かかる」

1979年3月、原子力船「むつ」の佐世保入港への反対運動として始まった座り込み。

その後「反核9の日座り込み」に移行し、原爆の日の8月9日を除く毎月9日に欠かすことなく実施してきました。

(県平和運動センター被爆連 川野 浩一 議長(84))
「核がなくなるまでこの座り込みを絶対にやめることはない。核兵器をなくさない限り、戦争をなくさない限り、私たちに平和はない」

(被爆者 山川 剛さん(87))
「私たちの抗議のさざ波は、アメリカの大陸には届いている。とにかくさざ波を立て続けるというのが大事」

500回目の座り込みには、普段の4倍を超える 約420人が集まりました。

多くの観光客らが訪れる 長崎市の平和公園の平和記念像前での座り込み。

(京都から)
「(京都では平和活動を)あまり見かけない。しっかり地元の人に受け継がれているのは良いこと」

(アメリカから)
「I mean it it's good.it's the best way to go about doing like that.(座り込みは)いいと思う。(平和の実現に向け)ベストな方法だと思う」

参加者の中には、1回目から携わってきた被爆者の姿も。

(1回目から参加被爆者 吉田 豊さん(82))
「これからも自分の座り込みだ、自分の平和のためだ。そういう気持ちで頑張っていきたい」

吉田 豊さん82歳。400回目まで、欠かさず参加してきたといいます。

(1回目から参加被爆者 吉田 豊さん(82))
「原子力船『むつ』の反対運動をするという時に合わせて、青年の運動をつくった。多くの人に参加してもらいやすい、あるいは女性の人にも参加してもらいやすいというつもりで、座り込みを始めたと思う」

「核廃絶の日」の実現を目指してきた45年間。

「9の日」に限らずフランスやアメリカが核実験を行った時には、緊急の座り込みも実施。

被爆地から “怒りの声” を上げました。

被爆者の平均年齢が85歳を超える中、若い世代の姿も増え始めています。

鎮西学院大学に通う 大澤新之介さんは、5年ほど前から座り込みに参加しています。

去年、学生団体「MICHISHIRUBE」を設立し、修学旅行生などを対象にガイドを行ったり、ワークショップを開催するなど活動しています。

目指すのは、持続可能な平和活動に向けた「平和ビジネス」の実現です。

(鎮西学院大学 大澤新之介さん)
「実際、ナガサキだけの問題じゃない。日本全体で、原爆を落とされたときは日本も加害を行っていた。ただ一方的な被害だけじゃ、絶対 今後平和学習を継承していくうえで衰退していく。しっかり歴史的背景含め、僕たちの口から説明しないと」

(被爆者 山川 剛さん(87))
「ここまで伸びるとは思わなかった」

(鎮西学院大学 大澤新之介さん)
「みんなから言われます」

(被爆者 山川 剛さん(87))
「のびしろあるもんね」

(県平和運動センター被爆連 川野 浩一 議長(84))
「我々はあと短いけど、あなた方は今から。頑張って」

(鎮西学院大学 大澤新之介さん)
「ありがとうございます。全力で頑張ります」

(鎮西学院大学 大澤新之介さん)
「続けることに意味があると思っている。たとえ核兵器がなくなろうとも被爆者の声は残し続けなければならない。10年後を見据え、我々大学生も頑張っていきたい」

午前11時2分、みんなで黙とう。今年は被爆79年。

来年は80年を迎えます。

(県平和運動センター被爆連 川野 浩一 議長(84))
「私たちが託すのはあそこしかない。あの世代がこれから頑張ってくれる。そこが我々は楽しみというか希望。次の世代を担ってくれる」

平和を願い、核兵器がなくなる日まで…。

被爆地ナガサキの願いを込めた『座り込み』は続きます。

【NIB news every. 2024年6月11日放送より】