「核がなくなるまで」被爆者らが毎月行う “反核9の日座り込み” 500回の節目迎え新たな決意《長崎》

平和公園で行われる「反核9の日座り込み」が今年6月、500回の節目を迎えました。
世代を超えて伝えたい願いがあります。
焼けつくような猛暑日も、雨の日も、雪の日も。
感染症が猛威を振るう中でも…。
毎月9日に平和公園で続けた活動が “500回目” を迎えました。
(県平和運動センター被爆連 川野 浩一 議長(84))
「戦争をなくさない限り、私たちに平和はない。達成できなければ、私たち人類は滅ぶ。そのことを肝に銘じて、きょうの500回目を迎えた」
6月9日。平和祈念像の前では「反核9の日座り込み」の準備が行われていました。
(県平和運動センター 平野 忠司事務局長(68))
「雨が上がったことが一番うれしい。雨が降るのと降らないのとでは、全く参加の数も違うし気持ちも違う。若い人たちが増えてきたことが一番ありがたい。そして一般の方も少しずつ。もちろん被爆者の方もいるが、被爆者は少しずつ減ってきている」
(被爆者 竹下芙美さん(82))
「よく座ったって何の意味もなかやろうって、近所の人からも言われる。だけども、やっぱり自分が“反戦 反核を望んでいる” という意思を公で示さなければいけない」
(県平和運動センター被爆連 川野 浩一 議長(84))
「元気やった?」
(参加した女性)
「おかげ様で何もないけど、やっぱり足がだめね」
被爆者の川野 浩一さん84歳。
座り込みを主催する 県平和運動センターの被爆者連絡協議会の議長を務め、30年以上、ほぼ毎回 参加してきました。
(県平和運動センター被爆連 川野 浩一 議長(84))
「当面は500回を目指してずっと頑張ってきた。500回を過ぎた後に、次は1000回を目指すのか。1000回だと40年以上かかる」
1979年3月、原子力船「むつ」の佐世保入港への反対運動として始まった座り込み。
その後「反核9の日座り込み」に移行し、原爆の日の8月9日を除く毎月9日に欠かすことなく実施してきました。