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【特集】亡き少年の夢を背負って新たな舞台へ ベテラン選手の思い オイシックス新潟アルビBC 《新潟》

2024年4月14日 17:55
【特集】亡き少年の夢を背負って新たな舞台へ ベテラン選手の思い オイシックス新潟アルビBC 《新潟》

今シーズンからプロ野球、ファーム・リーグに参加したオイシックス新潟アルビレックスBC。
ファーム・リーグ参加という大きな挑戦。
チーム誕生の礎となった亡き少年の思い…それを背負うベテラン選手の思いに迫ります。

◆新潟で17年プレー チームの歴史とともに

練習場に鳴り響く乾いた音。
稲葉大樹(ひろき)選手、39歳。
新潟でプレーをして17年になるベテランです。8月には40歳を迎えます。

〈オイシックス新潟アルビBC 稲葉大樹選手〉
「1人の時が一番練習できる。自分が成長する練習は1人になったときかな」

昨シーズンまでに933試合に出場。チームの歴史とともに歩んできました。

◆現役を続けることにこだわる理由

新潟アルビBCは、「北信越BCリーグ」の立ち上げとともに誕生。
「BCリーグで活躍し、いずれは12球団に指名され大観衆の前でプレーしたい」と、若者たちが球団の門をたたきました。
しかし、球団運営は厳しく、選手たちはアルバイトで生活費を稼ぎました。

選手たちの月給は15万円前後でした。
そんな環境でも、チームは次第に力をつけていきます。

2012年には初めてBCリーグを制覇。
そして……勢いそのままに念願の「独立リーグ日本一」をつかみとりました。
当時、歓喜の輪の中にいた稲葉選手は、チームが誕生した年、シーズンの途中に入団。

東京・江戸川区出身で大学野球では俊足巧打で活躍しました。
九州の社会人チームから声がかかりましたが卒業を控え、父親が他界。母親を1人残すことができず、都内のホテルに就職し一度はプロへの道をあきらめました。
クラブチームで野球を続けていましたが、当時の監督の紹介で、新潟でプレーするチャンスをつかみました。

〈オイシックス新潟アルビBC 稲葉大樹選手〉
「日本一、てっぺんを目指してやるのは当たり前。目の前の試合を1戦1戦、目の前の1球、目の前の1打を必死にやっていった結果がそこになると思うので、まずは目の前のことをしっかりやりたい」

リーグではベストナインを5回、首位打者も獲得。
しかし、17年間、ドラフトで指名されることはありませんでした。それでも、現役を続けることにこだわる理由。そこには1人の少年の存在がありました。

糸魚川市の水島樹人(みきと)くんです。
2006年7月、少年野球の試合前、ランニング中に突然倒れました。
急性の心不全。救急搬送されるも命は助かりませんでした。9歳でした。

〈樹人くんの母親・正江さん〉
「これくらいの時から…(ユニフォームは)だぶだぶで全然着こなせなくて……あの時は4年生だったんだけど、元気にしていたら高校生になって高校野球を頑張ってる時期だろうなと思ったら…」

三兄妹の真ん中で、妹の面倒をよくみるしっかり者。兄の影響で小学1年生の時、野球を始めた樹人くん。将来の夢は「プロ野球選手」でした。
樹人くんの葬儀を終えたあと、正江さんは、新潟を含む北信越で独立リーグ立ち上げの動きがあることを知り、1通の手紙を書きました。

〈樹人くんの母親・正江さんの手紙〉
「次男が大好きな野球のランニング中、突然倒れ、天国へ旅立ってしまいました。『新潟にもプロ野球があればいいのにな…』と言っていたのです。子どもの夢、叶えてください」

◆BCリーグ誕生の裏側で

手紙を受け取ったのは、村山哲二さん。
当時、BCリーグの立ち上げに動いていました。

〈村山哲二さん〉
「樹人くんのためにもこのリーグを絶対に成功させないといけないという思いを全員が強くした」

実は当時、リーグの設立は頓挫しかけていたといいます。
樹人くん、正江さんの思いにあと押しされ、再び動き出しました。
そしてこの年……選手たちの夢をつなぐBCリーグが誕生。

毎年、樹人くんの命日に合わせて、彼が亡くなった糸魚川市の球場でも試合が行われました。

〈樹人くんの母親・正江さん〉
「樹人は2年前、たしかにここを走っていました」「樹人も空から応援しています。みなさんも大声で応援しましょう」

新潟の初優勝がかかった試合もこの球場でした。
0対0で迎えた6回ウラ、満塁のチャンスで打席には…。

〈場内アナウンス〉
「7番、サード・稲葉大樹…」

打球はライトスタンドへ。
野球人生、初のホームランが決勝点に!
地区の前期優勝を決めました。

〈オイシックス新潟アルビBC 稲葉大樹選手〉
「きょう、たくさんの人に応援いただき、ありがとうございました!」

◆7年後、樹人くんの母が

正江さんは兄妹を連れて、何度も球場に足を運びました。

「選手たちが、樹人の夢をつないでくれる。」

声援を送ることが、いつしか生きがいにもなっていました。
しかし、樹人くんが亡くなった7年後。
正江さんは自宅で倒れ、帰らぬ人に。樹人くんと同じ「心不全」でした。

わが子の夢をつないでいた母の姿をそばで見てきた兄の修斗さん。
見せてくれたのは正江さんのユニフォーム。

これを着て球場で声を出している正江さんは覚えていますか?

〈樹人君の兄 水島修斗さん〉
「覚えています、覚えています。人一倍、声も大きくて、人一倍、応援していたと思う」

弟が使っていたグローブは、今も大切にとってあります。

〈樹人君の兄・水島修斗さん〉
「体もちっちゃかったので、手もちっちゃかったし」
「練習ばっかしてたと思うので。練習熱心で、人一倍足も速かったし、野球センスもあったし、キャプテン気質で、みんなを引っ張る…僕からみてもすごいなと思って」

◆樹人くんの思いをBCリーグへ

そして、もうひとつ。

「稲葉さんがくれたホームランボール…」
「樹人の思いを背負って、打席に立ってくれた稲葉さんの思いが詰まったボール」

糸魚川で試合が行われるたび、稲葉選手は家を訪ね、樹人くんに活躍を報告していました。
稲葉選手のバットには、家族の思いが託されていました。

〈樹人君の兄 水島修斗さん〉
「樹人が『新潟にプロ野球チームがあったらいいな』という思いからスタートしたBCリーグだと思うので、本当に樹人の思いをつないでいってくれている、そんな存在」

◆ファーム・リーグへの参加が正式決定

そして……去年11月。

オイシックス新潟アルビBCのファーム・リーグ参加が正式に決定。
新潟の野球界に新たな1ページが刻まれました。
NPB・日本野球機構の杵渕和秀さんは、新潟の球団の参加が認められた背景を次のように話します。

〈日本野球機構 セントラル・リーグ統括 杵渕和秀さん〉
「新潟球団は過去17年間、BCリーグの中でしっかり経営し、頑張ってきた。条件のところもしっかり計画を立て、整えていただいた。参加の要件を満たすチームだろうと承認に至った」

今後、新潟の野球界に多くの可能性が広がることになると話します。

〈日本野球機構 セントラル・リーグ統括 杵渕和秀さん〉
「新潟の中での野球のレベル向上、子どもたちに本物に触れていただいて、より現実的な夢を持って取り組んでもらえる……そんな環境を提供したいし、実現してほしい」

◆「必ず見守ってくれていると思う」

いよいよ迎えたシーズン。
チームのベンチには……背番号「10」、樹人くんのユニフォーム。
BCリーグの時代から、ホームの試合は樹人くんが見守る中、戦ってきました。

〈オイシックス新潟アルビBC 稲葉大樹選手〉
「この開幕戦を正江さんと樹人くんが必ず見守ってくれていると思う」

NPB、ファーム・リーグへの参加。

「新潟にもプロ野球があれば…」

18年前に願った樹人くんの夢がまたひとつ、叶いました。

〈オイシックス新潟アルビBC 稲葉大樹選手〉
「絶対にみてくれていると思うし、糸魚川では若い時に満塁ホームランを打たせていただいて、それも樹人くんの力じゃないかなと思っています」

その夢を背負って、稲葉選手はバットを振り続けています。