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特集「キャッチ」30年近く作り続けた雷山地豆腐 父の味を再び 大豆の香りが家族を包む 福岡

2024年8月26日 7:08
特集「キャッチ」30年近く作り続けた雷山地豆腐 父の味を再び 大豆の香りが家族を包む 福岡
「再び豆腐を」家族の一歩
特集「キャッチ」です。こちらは、福岡県糸島市の素材にこだわった「雷山 地豆腐(らいざん じどうふ)」と名づけられた豆腐です。親子が二人三脚で30年近く作り続けてきましたが去年、父が病に倒れました。「再び豆腐を作りたい」という父の思いに寄り添う、家族の姿を見つめました。

昔ながらの手作業で作る糸島市の雷山地豆腐は、水源豊かな雷山の水と、甘みが強い糸島産の大豆、そして、まろやかな天然のにがりでできています。地元の糸島市や福岡市の直売所で人気を集めていました。

■買い物客
「何もつけなくてもおいしい。大豆本来の味。」

しかし、もう半年以上、売り場に並ばないままです。

■ヘルパーの女性
「よいしょ、ただいま戻りました。」

雷山地豆腐を作っていた野田政志さん(76)は去年11月、脳出血で倒れました。2日間、意識不明となり、意識を取り戻した後も、およそ半年間の入院生活が続きました。右の手足にまひが残り、失語によって言葉が出る時と出ない時があるといいます。

■野田政志さん(76)
「(豆腐作りは)もう今はしよらんけんね。」

■政志さん
「どうぞ、おから無料ですよ。お持ち帰りください。地元の大豆です。雷山の地元の大豆ですよ。」

明るく、気前のいい豆腐店の店主だった政志さん。30年近くほぼ休まず、豆腐を作り続けていました。

今は、前のように体を動かすことができません。記憶もあいまいな部分があり、豆腐作りを再開することはできないままです。

■政志さん
「(Q.お豆腐はまた作りますか?)そうね、やっぱ生きとうけんね。作るよ。」

政志さんと一緒に暮らす二男の昌敬(まさとし)さん(47)は、生まれてまもなく高熱を出し脳性まひになりました。母は16年前に他界し、父と息子の2人暮らしです。

昌敬さんは、容器に入れた豆腐を冷やしたり、おからを袋に詰めたりと、父の豆腐作りをずっとサポートしてきました。

■二男・昌敬さん(47)
「(Q.昌敬さんにとって、お父さんと一緒に作るお豆腐作りは大事ですか?)大事です、大事ですね、やっぱり。大事です。」

父の政志さんは週に6日、デイサービスに通い、リハビリに励んでいます。少しずつ、自分でできることが増えてきたといいます。

■政志さん
「(Q.きょうは気分いかがですか?)気分は最高にいいっちゃないと。(Q.一つずつですね。)そうですね。」

長男が帰ってきた

7月、野田さん親子の自宅には、台所に別の男性の姿がありました。長男の孝一さん(48)です。結婚して家族と暮らしていましたが、父親の介護のため実家に戻ってきました。

■長男・孝一さん(48)
「おやじが思い出すきっかけになるんじゃないかなと思って。豆腐を食べたりすると。」

作っているのは豆腐です。孝一さんはこれまで、豆腐作りに携わったことはなかったといいます。道しるべとなるのは父の教えです。

■孝一さん
「熱すぎても冷たすぎてもだめと言っていました。68℃じゃないとだめと言っていました。それは退院して教えてくれたんですよ。」

■孝一さん
「豆乳ににがりを混ぜるけど、右に回す?左に回す?覚えてない?」

■孝一さん
「何回か尋ねていると、たまにポッと正解を教えてくれる。つながっているんでしょうね、その時だけは。」

■孝一さん
「これが、雷山地豆腐です。」

■孝一さん
「雷山地豆腐を作ったよ。ちょっと食べてみて。豆腐になっとう?」
■政志さん
「豆腐になっとうけどねえ。」
■孝一さん
「ちょっと不満そうですね。少し焦げたにおいがする?」
■政志さん
「まぁいいでしょう。」
■昌敬さん
「うまい。」

目の前のできることを一歩ずつ。あの頃と変わらない、優しい大豆の香りが寄り添います。

■孝一さん
「これからしばらく豆腐食べないかん。朝昼晩、豆腐。」

※FBS福岡放送めんたいワイド2024年8月21日午後5時すぎ放送