石見銀山の世界遺産登録に貢献 溝口善兵衛前島根県知事が死去 課題に真正面から取り組み数々の功績を残す 島根県
2019年まで島根県知事を3期12年にわたり務めた溝口善兵衛さんが8月20日に亡くなっていたことが分かりました。溝口前知事の功績を振り返ります。
8/20日に、老衰のため亡くなった、前島根県知事の溝口善兵衛さん。78歳でした。優しい語り口の一方、島根県の抱える課題に真正面から取り組み、力強い手腕を発揮しました。
益田市出身の溝口さんは、東京大学卒業後、1968年に旧大蔵省(現財務省)に入り、財務官などを歴任。2007年春、61歳の時に島根県知事選挙に立候補し、初当選しました。
溝口前知事
「私に対する高い期待があるわけでしてこういう期待に応えていかなければいかん」
3期にわたり県政のかじ取りを担う中で財政改革を進めたほか、少子化対策にも力を入れ、島根県の「合計特殊出生率」を全国2位まで(2016年 5月)まで押し上げました。
時にはー。
宍道湖沿いをさっそうとサイクリング。
溝口前知事
「今日は暑いけどもいい風が吹くんじゃないですか」
自転車ショップのオープンに参加し溝口さんは、4キロを走りサイクリングの魅力を伝えていました。
2018年には、世界のホームラン王、王貞治さんと、野球対決。真剣勝負を見せました。
しかし、3期目の途中で、食道がんがみつかり、一時治療に専念。自身の体調のこともあり、2019年、3期12年の溝口県政に幕を下ろしました。
街の人
「長いこと知事されていたんで、 残念です」
「びっくりしました。もうちょっと長生きしていただきたかった。せっかく色々と活躍していただいて」
数ある溝口さんの功績の中で最も知られているのが、2007年の石見銀山遺跡の世界遺産登録です。
石見銀山遺跡はその2か月前、世界遺産を決めるユネスコの諮問機関から「世界遺産にふさわしい普遍的価値を証明する物証が示されていない」などと登録延期を勧告されていました。溝口さんはこうした状況を受けすかさず動きます。
溝口前知事
「過去の例を見ても照会から昇格した例をあるので一生懸命頑張りたい」
友人でもある当時のユネスコ大使 藤誠一さんを現地に招待。大使を巻き込み、各国関係者にロビー活動を展開しました。そして、石見銀山は世界遺産に登録されることになります。
石見銀山遺跡のある大田市大森町で義手や義足を作る会社を経営している中村宣郎さん。世界遺産登録の瞬間を地元で迎えました。
中村ブレイス 中村宣郎 社長
「懐かしいですね。あっという間に17年たちましたね」
父・俊郎さんと世界遺産登録を応援していた中村さん。当時を振り返りー。
中村ブレイス 中村宣郎 社長
「中央とのパイプというかつながりっていうのは他の方が知事になられてたらそこまでのパイプはなかったかもしれないですし、そのパイプを上手く使われる人柄とかそういったものがすごく影響したんじゃないかと思います」
世界遺産登録で注目された石見銀山。今では移住者が増え、全国的にも有名な街へと変わりました。溝口さんからも在任中、よく声をかけられていたといいます。
中村ブレイス 中村宣郎 社長
「石見銀山を住民の手でこれからもうまく作り上げていって、いい形で次の世代等にバトンタッチをしていきますというような意思表示をしていきたい」
溝口さんの葬儀は自宅のある東京都内で親族のみで行われるということです。