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「拉致と言えなくて…」北朝鮮で暮らす息子を思い…寺越友枝さん死去

2024年2月27日 19:04
「拉致と言えなくて…」北朝鮮で暮らす息子を思い…寺越友枝さん死去

61年前、能登半島沖で行方不明になり、その後、北朝鮮で生存が確認された寺越武志さんの母親で、長年、訪朝を重ねてきた友枝さんが、亡くなったことが分かりました。92歳でした。

寺越友枝さんは、息子の武志さんが北朝鮮で生存していることが判明して以来、66回にわたり、訪朝を重ねてきました。

息子の武志さんは中学生だった61年前おじ2人とともに漁に出たまま失踪。
北朝鮮側は「救助した」と主張していますが、状況から見て、拉致の可能性が高いとされています。

そうした中、友枝さんも一時は拉致被害者横田めぐみさんの両親らとともに行動していました。

友枝さん:
「うちの武志は自分が行きたくて行ったのではないことは事実と私は考えておるけど、拉致か何だか分かりませんが、日本の土を踏ませたくて一生懸命に応援してくださいと頑張っております」


その後、北朝鮮で暮らす武志さんは労働組合の訪日団の一員として一時帰国を果たしますが…

武志さん(朝鮮語での挨拶):
「私は朝鮮職業総同盟平壌市委員会の副委員長 金英浩です敬愛する金正日将軍のご配慮により訪問団の一員として来日しました」

朝鮮語であいさつし、名前は「キム ヨンホ」と名乗りました。
そしてわずかな滞在ののち、また北朝鮮へ。

その後は一度も日本の土を踏むことが叶わず、政府も武志さんを拉致被害者とは認定していません。
友枝さんはその後、武志さんの身の安全などを考えて家族会と距離を置くようになり、自ら武志さんに会いに行く道を選びました。

友枝さん :
「私も苦しいです本当にうちの場合は、人とまた例が違うもんでみんな(家族会)と一緒に行動はできません
「いま、認定してもらっても、武志の生活がどうなるかと心配にもなるし」
「親としてずっと武志を守ってやりたいから拉致の認定は今は考えていません」

最後の訪朝は6年前。
それ以降、親子で直接会うことはできませんでした。

家族によりますと、友枝さんはおととしの暮れに体調を崩して救急搬送され、以来、入院生活を送っていました。
そのことは北朝鮮で暮らす武志さんにも伝わり、金沢に住む妹の家に友枝さんのことを気遣う電話がかかっていたといいます。

そして友枝さんはおととい夕方、呼吸不全により息を引き取りました。

92歳でした。

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