札幌テレビ塔を徹底解剖したら「時計に文字」「幻の施設」「テレビ父さんは非公式」ナゾ次々と
生活に潜む様々なナゾを解き明かす「ナゾトキ」です。
きょうのナゾはこちら!
国の登録有形文化財に指定される見通しとなった『さっぽろテレビ塔』です。
時計に記されたナゾの文字、そして今はなき幻の施設。
意外と知られていない歴史を紐解きます。
高さ144メートルのさっぽろテレビ塔。
先日、3メートル縮んだと話題になりましたが、地上90メートルの展望台のさらに上まで案内してもらいました。
(宮永キャスター)「うわー、すごい高さだ」
(さっぽろテレビ塔 菊池遼太さん)「冬の時期は毎朝、手作業でつららなどをとっています」
この日はあいにくの天気でしたが、晴れていれば札幌の街並みを一望できます。
(宮永キャスター)「さっぽろテレビ塔、大きな特徴があの時計なんですけれども、普段気付かないんですが、よくよく見てみますと左下、数字の1の下のところ、何か書いてあるようなんですよね」
テレビ塔でひときわ目立つ電光時計。
カメラでぐーっと寄ってみると、小さく二つの文字が。
(宮永キャスター)「時計の左下になにか文字が書いてありました。よくよく見てみると寄贈って漢字二文字、あれはどういうことなんですか?」
(さっぽろテレビ塔 菊池遼太さん)「紆余曲折がいろいろありまして、当時の松下電器さんから札幌市民の方みなさんへ寄贈されている時計ということになります」
1957年に完成したさっぽろテレビ塔。
その2年後にはSTVがテレビの電波を送信し始めました。
時計が付いた現在の姿に変わったのは1961年になってからー
そこにはある事情があったといいます。
(さっぽろテレビ塔 菊池遼太さん)「この下の方にバスセンターという今の大通1丁目ですね、バスセンターという場所でして、市民からテレビ塔の上に大きな時計があったら便利だねという話があって」
当時、大通西2丁目にバスセンターがあり、時刻を一目で確認できる時計の必要性が叫ばれていました。
(宮永キャスター)「なるほど、バスセンターがあったから時計がいるよということでこういう話になったんですね」
ただ、そこにはある問題がー
景観が重視される大通公園では、目立つ企業広告が制限されていたのです。
当初検討されたとみられるこちらのデザインは、「公共性が認められない」と道に却下されたようです。
そこで考え出されたのが、広告ではなく「時計を寄贈する」という案でした。
(さっぽろテレビ塔 菊池遼太さん)「この写真もですね、ナショナルのナの横、ここに寄贈という文字がございます」
(宮永キャスター)「これは広告じゃなくて市民のための時計ですよ、これプレゼントですよ。歴史ですね」
近く国の登録有形文化財に指定される「さっぽろテレビ塔」。
実は、兄弟がいることをご存じでしょうかー
さっぽろテレビ塔を設計したのは、建築家の内藤多仲です。
「耐震構造の父」とも称され、鉄塔などを多く手がけました。
古い順からー
(さっぽろテレビ塔 菊池遼太さん)「名古屋の今は中部電力MIRAI TOWERが最初で、次は通天閣、次に大分の別府タワー、4番目がさっぽろテレビ塔、5番目に東京タワー、6番目に博多ポートタワーが続いています」
(宮永キャスター)「では東京タワーよりも歴史がある?」
(さっぽろテレビ塔 菊池遼太さん)「1年だけ歴史が長いという感じなんです」
今回、有形文化財に選ばれる理由も、この長い歴史がきっかけでした。
(さっぽろテレビ塔 菊池遼太さん)「建物としては50年以上経っているもので一定の価値が認められているものという決まりがありますので、来年春ごろに正式に決定されるということですので、本当に大変名誉なことだと思っております」
さっぽろテレビ塔はタワー6兄弟の4番目。
よく見ると長男の名古屋のテレビ塔によく似ていますよね。
そのさっぽろテレビ塔ですが、テレビ塔と言っても今は電波は送信されていないんです。
開業当初こそSTVやNHKが電波を出していましたが、1960年代には各局とも、手稲山に送信所を移しています。
そのテレビ塔、もともとの正式名称は「観光センター」だったんです。
実は「幻の観光施設」もあったそうです。
その幻の施設は、3階部分の屋上にひっそりと残っていました。
(さっぽろテレビ塔 菊池遼太さん)「こちらがプラネタリウム館ですね。ここは市民の憩いの場でもありました」
1957年に誕生したプラネタリウムです。
東京・大阪についで全国3番目に誕生し、修学旅行の団体客や多くの市民が訪れ大盛況でした。
(宮永キャスター)「おおー、ほんとだ。これは確かにプラネタリウム。音の響き方が全然違う。ドームになっているので自分の声がまた跳ね返ってまた中心にくるから」
(さっぽろテレビ塔 菊池遼太さん)「当時大変珍しいものでありましたので、触られたり故障したりだとか、盗難にあったりということで聞いております」
プラネタリウムは開業からわずか5年で閉鎖されてしまいました。
ピーク時には1年で69万人が訪れていたテレビ塔ですが、入場者数が29万人にまで落ち込んだ時期もありました。
そこに現れた救世主がー
(宮永キャスター)「あ、ありました。テレビ父さん。いまやテレビ塔のキャラクターとしてすっかりおなじみですけれども」
展望台につくられたテレビ父さん神社です。
その横にはグッズが所狭しと並んでいますがー
実はこのテレビ父さん、非公式のキャラクターなんです。
(宮永キャスター)「ということは別に公式のキャラクターというのもいるんですか?」
(さっぽろテレビ塔 菊池遼太さん)「公式キャラクターはタワッキーという名前です」
(宮永キャスター)「タワッキー!?すみません私、見たことも聞いたこともないんですが」
こちらが公式キャラクターの「タワッキー」です。
ご存じでしたか?
2002年4月に誕生しましたが、そのわずか1か月後に札幌在住のイラストレーターがテレビ父さんを考案すると、またたく間に人気者に。
(宮永キャスター)「これはかなりレアな存在ですね。本当にごくごく限られたイベントで何かグッズとして出てくる?」
(さっぽろテレビ塔 菊池遼太さん)「そうですね。階段上りの達成者の方にステッカーとしてプレゼントしたり。テレビ父さんもタワッキーも一緒に盛り上げていきたいと考えています」
(宮永キャスター)「これからはちょっとタワッキーの活躍の場は増えていくかもしれませんね。頑張ろうね」
テレビ父さんの人気もあって、今では年間40万人以上の利用客が訪れているテレビ塔。
有形文化財の登録を機にテレビ塔を訪れて「市民も魅力を再発見」してみてはいかがでしょうか。