×

「食べるところがなかった」一念発起で福島第一原発がある町に飲食店開店 大熊町・福島

2024年7月6日 8:00
「食べるところがなかった」一念発起で福島第一原発がある町に飲食店開店 大熊町・福島

復興拠点の避難指示が解除されて、2年が経った町では、新たなにぎわいを生み出そうと拠点内では初の飲食店がオープンしました。町に魅了され、一念発起した女性の思いにChuモク!

福島第一原発の事故に伴う避難指示が、一部の地区で解除され、新たな街づくりが進む大熊町。居住人口も去年のおよそ3倍にまで増え、復興へ、少しずつ歩みを進めています。その町に、今年5月にオープンしたのが…

「いらっしゃいませ~」

唐揚げ定食に冷やし中華など30種類以上のメニューを提供する飲食店の「食事処 池田屋」です。大熊町の復興拠点では初めての飲食店となります。切り盛りするのは浪江町出身の池田孝代さん(63)と長男の謙太さん(28)。孝代さんはおよそ30年前、浪江町で両親と喫茶店を経営していましたが、結婚を機に、関東に移り住みました。しかし、地元の豊かな自然が忘れられず…。

■食事処 池田屋 店主 池田孝代さん
「ホームシックで、毎月帰ってきた。早く帰りたい、早く田舎の海のにおい嗅ぎたいというのがすごい染みついていた」

そして、 飲食店を経営しながら、ようやく子育てが一段落。浪江町に戻ろうとしていた矢先…

■食事処 池田屋 店主 池田 孝代さん
「全部津波で(流されて)、何一つ残ってない」

震災で実家を失った池田さん。それでも、福島に戻りたい気持ちが薄れることはありませんでした。

■食事処 池田屋 店主 池田 孝代さん
「離れている方がふるさとの思いが強くなる」

そして、とあるきっかけで大熊町へ。

■食事処 池田屋 店主 池田孝代さん
「やっぱり孫。大きなこども園がオープンさせるパンフレットを見て綺麗にできてて、広くて、庭先の遊具なんかも都会では考えられないスケール」

孫がのびのびと成長できる自然に囲まれた教育環境に魅力を感じた池田さんは去年6月、家族全員で大熊町に移住しました。ただ…

■食事処 池田屋 店主 池田孝代さん
「こども園も日曜日休みだから、どっか食べにいこうかと言っても、食べるところがなかった。食べるところがないと、仕事してても、きょうの夜どこのスーパーまで30分かけていくのかなて考えないといけない」

復興拠点で食事を提供する場所がないことに寂しさを感じた池田さん。長年の経験を生かし、飲食店をオープンさせることを決意します。お店は午前11時から夜までの営業。にぎわう場所がまだ少ない町にできた飲食店。利用客も期待を寄せます。

■仕事で大熊町に訪れた人たちは
「全然(お店)ないので、こういうお店があるのはありがたい。温かい食事が食べられるのはすごく嬉しい。このへんに住みたいな、異動したいなという人の足掛かりになる、大事な基盤になると思う」

町に住む人や復興のために働く人たちが一息つく場所を作りたい。池田さんの挑戦は始まったばかりです。

■食事処 池田屋 店主 池田孝代さん
「みんなでゆったりできるような場所がないと、人間ストレス溜まる。これから先も帰ってきても食べるところがあって、安心だわてというような思いになればいいかなて」