【熊本地震8年】なぜ「再建した住宅を建て直し」?益城町の男性 復興との間で揺れる思い
今回は、地震をきっかけに益城町で始まった道路や土地の整備です。当時、課題となった「防災力の強化」のために進められる公共事業。ただ、その事業により翻弄される住民もいます。復興と生活再建のはざまで揺れる思いを取材しました。
益城町の中心部、木山地区にある仮設の商店街。ここで小嶺隆さん(74)は模型店を営んでいます。
■小嶺隆さん
「100年以上になるでしょう。昔、戸島屋といったら有名だったんですよ、下駄屋で。でも、趣味がラジオコントロールで、いつの間にか下駄の下の字もなくなった」
祖父の代から続く店。しかし…。
■小嶺隆さん
「でも、もうこれ以上続けられません」
熊本地震に、今も生活が翻弄されていました。
2016年4月の熊本地震で、2度の震度7に襲われた益城町。住宅が道をふさぐように倒壊し、救急車や緊急車両の通行が妨げられる事態となりました。そこで地震の後に熊本県が打ち出したのが、町と熊本市を結ぶ県道熊本高森線の4車線化です。今の2車線の道路を4車線に広げることでアクセスを強化し、防災や環境の面でも機能を高めるのが狙いです。
対象となるのは熊本市東部から益城町の中心部を通る約3.2キロの区間。現在、熊本市東区桜木からの約1キロで4車線化を終えました。4月14日には、まちのにぎわい拠点がある惣領交差点まで開通し、4車線化される区間の約半分にあたる1.6キロが利用できるようになります。総事業費は約269億円で、残りの区間は2025年度末までの完成を目指しています。
4車線化を終えた道路は…。
■畑中香保里キャスター
「地震前は10メートルだった道幅が、27メートルにまで拡幅されました。歩道も歩行者と自転車道が分けられ、5メートルと幅広く確保されています」
■車を運転する男性
「交通渋滞は、4車線化した所ぐらいまで減ったんじゃないですかね」
■自転車の高校生
「歩道が広くなって、通りやすくなったと感じます」
■車いすの人
「歩道が広がって、ものすごくいいですね」
一方、道路を広げるために移転が必要になった住宅や店舗などは、倉庫を含め139棟あります。小嶺さんも移転した1人です。県道沿いにあった小嶺さんの自宅兼店舗は熊本地震で全壊。翌年に県道の4車線化が決まり、土地の一部が道路になるため、小嶺さんは道路から15メートルほど離れた場所に自宅を再建しました。
ところが…。
■小嶺隆さん
「また建て直し。何回せなんですか」
予想していなかったことが起きました。また、家を建て直さなければいけなくなったのです。
理由は、区画整理事業です。県が進める復興事業の一つで、区域内に商業や文化の拠点を集め、災害に備えた避難ができる公園などを整備します。同時に宅地を整え、暮らしやすいまちづくりを進める計画で、10年がかりの大きな事業です。
ます。
益城町と県が事業の検討を始めたのは熊本地震が起きた2016年。その約2年後の2018年10月、国が事業を認可し、道の形状や区画などが決まりました。この計画で移転が必要になったのは95棟。しかしこの時、小嶺さんなど約半数はすでに自宅などの再建を終えていたのです。
地震の翌年の2017年に自宅を再建した小嶺さん。後になって区画整理事業が進められることになった結果…。
■小嶺隆さん
「ここから先が道路その道路につながります」
4車線化に配慮して道路から離れた場所に家を建てたものの、区画整理で作られる新たな道路が庭に重なることに。土地の割り当て場所も区画整理で再びずれることになり、更なる家の建て直しを余儀なくされたのです。
費用は県が負担するものの度重なる引っ越しに疲れも。
■小嶺隆さん
「簡単にいうけど、大変なことですよ、労力から。不安です。住んでいる人の身にもなってほしい」
影響は仕事にも及びました。小嶺さんの模型店が入る仮設商店街が区画整理の対象にかかり、今年5月末での閉鎖・移転が決まったのです。今の仮設商店街は、小嶺さんの家の道向かいにあります。しかし、移転先は家から500メートルほど離れてしまいます。
今年、75歳を迎える小嶺さん。
■小嶺隆さん
「店はもうやめるかもしれない。もう年寄りやけんが」
商店街で働く仲間も、移転先で店を続けることは決めたものの、思いは複雑です。
■岩崎すえみさん(69)
「全然見えん、前が見えん。ふわふわした8年、地に着いていない」
住民の不安な声に、県の益城復興事務所は。
■熊本県益城復興事務所 奥村知明所長
「被災者のご事情というのは、時間の経過とともに変わっていきます。状況、状況に応じて、できる限りの提案を県と町でさせていただいて、いい再建ができるように努めていきたいと思っております」
熊本地震から8年。
■小嶺隆さん
「区画整理をされるなら協力して、早く安心したいです。木山地区は生まれた所だから大好きです。大好きだけど、だんだん人が減っていきよるから、寂しかなあと思いますね」
復興事業が進む影で被災者の先の見えない暮らしが続いています。