パリ五輪で銀メダル フェンシング古俣聖選手に単独インタビュー 大舞台での経験、父への思い 4年後はエースに 《新潟》
パリオリンピックフェンシング・エペ団体で銀メダルを獲得した新潟市出身の古俣聖選手。幼い頃から夢に描いた大舞台で感じたことや競技を指導してくれた父への思いをうかがってきました。
8月29日午後-
―この度はおめでとうございます
〈古俣聖選手〉
「ありがとうございます」
―銀メダルの重みは
〈古俣聖選手〉
「物理的にも重いんですけど思い入れも強いので精神的な意味でも重いメダルだと感じています」
新潟市西区出身の古俣聖選手、パリオリンピックのフェンシング男子エペ団体に出場しました。
日本の銀メダルに貢献した古俣選手、印象に残ったというシーンが…
決勝戦で最初にあげたポイントです。
〈フェンシング・エペ団体で銀メダル 古俣聖選手〉
「自分はどれだけ上手に体を動かせるか、効率よく動かせるかを意識していて、おなかをしめるタイミングが決勝の方がよくなったと感じました」
5歳のときにフェンシングを始めた古俣選手。
小学5年のときに語った夢が…
〈古俣聖選手(小学5年当時)〉
「オリンピックに出てできればメダルを取りたい」
指導したのは自身も選手だった父・治久さん。
古俣選手は2歳年上の姉と一緒に練習を重ねました。
〈古俣選手の父・治久さん〉
「『これをやりなさい』ということはひとつもなくて彼(古俣選手)がこれをどうしても取得したい、この技をものにしたいと一生懸命やって」
パリから帰国後には父と2人で寿司を食べました。
〈古俣聖選手〉
「よくやった、がんばったねという言葉をずっとかけられた記憶があります」
―お父さん、うれしそうでした?
「うれしそうにしてました」
今回のオリンピックではリザーブメンバーとして出場した古俣選手。
4年後の大舞台に向け、早くも思いを新たにしています。
〈フェンシング・エペ団体で銀メダル 古俣聖選手〉
「(4年後の)ロス五輪では一番は団体戦で取れなかった金メダルを取ることを一番の目標に、二番目の目標としては今回個人戦に出られなかったので、次は個人戦にも出場してメダル取って日本に帰ってくることを目標にしています」
次は表彰台の中央へ…
スーパーエースに名乗りを上げた26歳の騎士はさらなる努力を誓い世界の頂点を目指します。