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テレビ宮崎

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能登半島地震から半年 宮崎と石川で二拠点生活をしてきた家族の思い

地震で被災した石川県珠洲市と宮崎市で2拠点生活をしてきた家族は、いつ石川に戻れるか将来の生活に不安を抱えながらも宮崎で新たな一歩を踏み出しています。 石川県珠洲市出身の浦野博充さんと宮崎市出身の妻・綾菜さん。 浦野さん家族は、珠洲市で両親と農園を経営していて、雪で農業ができない12月から2月の間だけ宮崎市で暮らす二拠点生活を送ってきました。 1月1日、能登半島地震が発生した時に宮崎にいた浦野さんは、2月に珠洲市へ戻り変わり果てたふるさとを目の当たりにしました。 (浦野博充さん) 「宮崎でできることがあるのか…ちょっとずつですけど考えて前に進んでいきたいと思っています。」 地震発生から半年…。 (秦萌記者) 「おはようございます。ブドウがすごくたくさんなっていますね。」 (浦野博充さん) 「順調に進んでいるところです。」 浦野さんは、妻・綾菜さんの両親の紹介で綾町の農園の一部を借り、ブドウの栽培に挑戦していました。 (浦野博充さん) 「一つ一つ教えてもらいながらなので、計画も一緒にやっている方がいるからできている状況です。ありがたいですね。初めてやる不安もあったが、逆にそれはいい経験というか、挑戦するいいきっかけになったので、そこは思い切ってやってみようという感じ。あと1カ月後には少しは食べられるブドウができるんじゃないかというのは楽しみですね。」 (綾菜さんの父親) 「応援できることは限られているからね。このくらいなら僕でもできると思って…」 ブドウの販売先の開拓が課題ですが、チャレンジできる環境に感謝しているという浦野さん。子供は保育園に入園し、冬に向けた農地も借りました。 (浦野博充さん) 「周りの方に迷惑かけながらですけど、一歩一歩進んでいる。」 一方…。全壊した珠洲市の実家とひび割れた農地は、今も手つかずのまま…。 (浦野博充さん) 「2月からまだ帰れてもないので 来年には石川に戻ってまともな生活ができるか、正直まだ答えは出ていない。宮崎でやっている挑戦もありがたい経験だし、石川で農業するのもこれまでしてきた形なので、父から継いだ農家でもあるというところは簡単に判断しにくい。その葛藤が大きい。」 珠洲市で暮らす両親は、避難所から仮設住宅に移り、地震の影響が少なかった畑で農業を再開しました。 しかし「復興」と言うにはまだ遠い状況です。 (浦野博充さん) 「前向き(に生活しているの)が逆に全国的に『もう復興したんじゃないか』という捉え方をされているのが、実は中身は何も変わってなくて、まだ困っている人はたくさんいるし、全国との温度差というのは違和感を感じている。」 進まない復興、先の見えない生活。 浦野さんたちは、宮崎で暮らしながらこれからのことを考えていきたいと話します。 (浦野博充さん) 「同じ『先がどうなるか分からない』という言葉でも、いまは選択肢があるという意味ではありがたい。自分らしく家族と話し合って判断していきたい。」

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