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【特集】地震から4か月「避難所にほっとする場所はなかった」能登半島地震から心の復興を…新潟の「チーム中越」の支援がきっかけとなった石川県珠洲市の憩いの場 

2024年5月3日 21:35
【特集】地震から4か月「避難所にほっとする場所はなかった」能登半島地震から心の復興を…新潟の「チーム中越」の支援がきっかけとなった石川県珠洲市の憩いの場 
元日に発生した能登半島地震から5月1日で4か月。いまだ多くの人が不自由な生活を余儀なくされています。そんな中、新潟の「チーム中越」の支援をきっかけに被災者と支援者が一息つける交流スペースが生まれていました。

■被災者・支援者が集まる石川県珠洲市の老舗菓子店

続々と人が集まってくるのは、石川県珠洲市の「メルヘン日進堂」です。1913年創業、バウムクーヘンが名物の老舗菓子店です。
最大震度6強を観測した珠洲市の中心部にありますが、去年11月にリニューアルしていたため店は無事でした。

店内には、全国から寄せられた支援物資がずらっと並んでいます。この日も……

〈菓子店店主〉
「支援の方ですか?」

〈支援者〉
「群馬から来たんですよ、少ないけど物をもってきてまわっているんですけど」

〈石川県能登町から来た被災者〉
「おむつもらっていっていいですか?私の知り合いの人が赤ちゃんいるので」

〈菓子店店主〉
「どうぞいま届いたばっかり、お届けいただいた方がこの方なの。ほら赤ちゃん用のお菓子ある」

〈石川県能登町から来た被災者〉
「あーうれしい!ありがとうございます」

被災者と支援者をつなぐ交流の場となっていました。

■「命の危険感じた」津波で家が流された店主

菓子店の店主、石塚愛子さんです。
私たちに見せてくれたのは珠洲市にある石塚さんの自宅から撮影された津波の映像。海岸から一気に押し寄せた津波はあっという間にまちを飲み込みました。

〈メルヘン日進堂・石塚愛子さん〉
「命の危険を感じるので言葉がなくなっていくこの動画の3分間の間に」

家族ともに命は無事でしたが自宅は住むことができなくなり現在は親戚の家で生活を行っています。

〈メルヘン日進堂・石塚愛子さん〉
「大小で比べてひどいとかひどくないとかではなくて、本当に今回の地震が本当の広い範囲で多くの方がそれによって生活に支障をきたしていることがここから出てわかったこと。」

水は使えないですが奇跡的に残った店を活用してまちの人に恩返しをしたいと思ったといいます。

■交流スペースのきっかけは新潟「チーム中越」の支援

そのきっかけとなったのが、店の外に設置してある「トイレ」。新潟の支援団体「チーム中越」が提供しました。トイレを利用するために人が集まり、交流スペースとして店内を開放したところ、地震で失いかけた地域のコミュニティが復活したというのです。

〈石塚さん〉
「トイレに来られる方々を見ていてどこに避難をされているかご自宅で困りごとはないか支援物質で困りごとがないかっていうのをここでさせていただこうと思って。
トイレカーが来たおかげで人をたくさん見かけて、それで(この場を開放した)っていうのがあるので、新潟県様様なんですよこちらとしては」

中越地方から被災地の支援を行う「チーム中越」。中越地震で得た経験や教訓を次の被災地へ伝えようと2008年に設立されました。東日本大震災や熊本地震など被災地で何度も支援活動を行ってきました。

能登半島地震でも新潟県内の企業や団体と協力し珠洲市と輪島市に1台ずつ「トイレカー」を設置することにしたといいます。

〈チーム中越・河内毅さん〉
「災害のときって孤独になってしまったり情報交換ができにくいところもあると思いますので、トイレが起点でコミュニケーションの場、人が集まる場ができるのっていうのも一ついいことなのかなと思う」

■「避難所でほっとする場所はなかった」

「チーム中越」の支援をきっかけにうまれた憩いの場……
温かいコーヒーを飲みながら店主の石塚さんと笑顔で話すのは珠洲市で被災した山岸久美子さんです。

〈山岸さん〉
「ここ来るたびにちょっとずつ元気になってるの私、いままで笑ったことなかったもん。前を向いて頑張らなきゃなっていう気持ちにやっとなれた。それまで泣くこともできなかったし、八方ふさがりで何も考えられなかったもんね」

〈石塚さん〉
「本当に、表情が変わられた。」

家に帰ることもできずいまも避難所での生活を続けている山岸さん。
自由のない、他人との生活。長引く避難生活で心の余裕がなくずっと気持ちが張り詰めていたといいます。

〈山岸さん〉
「ずっと気をはってたから気をつかって、気はって気はってひとりで持ちこたえられないこといっぱいあるのに、まだ人に気を使わなきゃいけないのか。同じ被災民なのに。そんな中でほっとする場所って避難所ではなかったんです」

避難生活の中で口にしにくいこともここでは話せるといいます。

■菓子店は5月から営業再開「中越から応援している」

この日、支援者が物資を届けにやってきました。避難所向けに持ってきましたが偶然立ち寄った菓子店にも運び込んでくれます。

〈石塚さん〉
「ようこそメルヘン日進堂へありがとうございます。一つずつどうぞ、塩のやつとお野菜のバウムクーヘン。販売はできないけど。」

〈関東から来た支援者〉
「ありがとうございます。」

〈石塚さん〉
「どこへ物資を置いて来られたの?」

〈関東から来た支援者〉
「避難所に小学校に。」

石塚さんの菓子店では水が復旧し、5月1日から営業を再開することに。一方で全面復旧はしておらず、まだ水が使えない事業所や住宅もあるため、5月末まではトイレを設置する予定だということです。

〈石塚さん〉
「みなさん本当にいろんな思いを持って珠洲にきてくれてるんだなって、すごいありがたいです。一人でも多く別の方とふれあうことで刺激になったりエネルギーになったり生きている喜びを感じるので、もう1日頑張ろうと思ってもらえるような場所にしたいなと思う」

憩いの場のきっかけを作ったチーム中越の河内さんに、現地の様子を伝えると……

〈河内さん〉
「やっぱり石塚さんみたいな人がいらっしゃるのが大事ですよね。支援をした方が地域の中心になってくださるっていうのが非常に大事だなと思っていて、中越からずっと応援していますので、なにかあったらまた頼っていただけるとうれしいなと思いました。」

新潟から能登への支援をきっかけに……被災地で大きな輪となりたくさんの人の心を温めています。

(4月30日放送「夕方ワイド新潟一番県内ニュース」で放送)

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