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花嫁は原爆で大やけどを負った 「運命の分かれ道」被爆前の婚礼写真をカラー化 よみがえる記憶

2024年8月6日 12:21
花嫁は原爆で大やけどを負った 「運命の分かれ道」被爆前の婚礼写真をカラー化 よみがえる記憶

8月6日は79年前、被爆者にとって運命を大きく変えられた日です。97歳の阿部静子さんもその一人です。被爆により、心と体に傷を負いながら生きてきた阿部さんの被爆前の写真をカラー化しました。色を通してよみがえる記憶です。

運命を変えたあの日…

この婚礼写真が撮られたのは1944年。花嫁の人生が変わる1年前です。花嫁の阿部静子さんは、97歳になりました。静子さんは7年前から高齢者施設で暮らしています。1927年、7人兄弟の末っ子として生まれました。女学校を卒業し、洋裁学校に通っていたとき、縁談が舞い込みました。相手は、戦地から一時帰国した陸軍将校・9歳年上の三郎さんでした。

■阿部静子さん
「一回だけ映画を観に行きました。何を見たかもう忘れましたが、私も緊張していたんだと思います。初めて男の人と映画をみたから。付き合いも浅いのにねえ。一緒に映画を観に行って、ちょっと内容も覚えておりません。」

1944年に17歳で結婚。その後、三郎さんは再び戦地へ。わずか1週間の新婚生活でした。

やがて戦況が悪化。空襲による延焼を防ぐため、建物を取り壊す作業が行われました。静子さんの町内会も、作業に加わることになりました。

1945年8月6日の朝も、爆心地から1.5キロ、今の広島市中区平塚町にいました。右半身を襲った熱線。

■阿部静子さん
「皮膚がちぎれて、爪のところで止まって垂れ下がっておりました。」

自宅をめざす途中にたどり着いた工場の軒下。

被爆の3日後、聞こえてきたのは父親の声でした。

■阿部静子さん
「(父親の)『静子~静子~』と呼ぶ声がしましたら『あんたが静子か、あんたが静子か』3回も4回も確かめて。」

火傷を負った赤い顔。差別に苦しみました。

その年の12月、夫の三郎さんが戦地から帰りました。静子さんの父親は、三郎さんに願い出ました。「娘は原爆で見苦しい姿になってしまいました。どうぞ離縁してやってください。」すると、三郎さんは…

■阿部静子さん
「自分が戦地で手や足を失っても、元気で帰ったら私に面倒をみてもらおうと、それを心の支えとして戦ってきて、内地が戦場になって妻が傷ついたといっても離婚はできませんと、きっぱりその時に父に申しました。」

三郎さんは、ありのままの静子さんを受け入れました。

カラー化でよみがえる幸せな日々

今回、静子さんの大切な写真をカラー化したのは、2024年4月に広島テレビに入社した庭田記者は、高校時代から被爆前の写真をカラー化し、当時の記憶を鮮明によみがえらせる取り組みを続けています。これまでに出会った戦争体験者は30人以上。カラー化した写真は300枚を超えます。

静子さんの写真に人工知能「AI」で色をつけ、当時の資料をもとに修正していきます。

■阿部静子さん
「もっと濃いですね。」
■広島テレビ 庭田杏珠記者
「もっと濃い?」

■阿部静子さん
「カーキ色とか国防色とか言ってました。」

対話する中でよみがえる「記憶の色」。

7月。完成した写真を静子さんのもとへ。

■阿部静子さん
「良い写真になってますね。まだ火傷もしてないし、運命の分かれ道みたいな写真ですね。穏やかな平和な感じが漂ってまいります。明るい色は平和な色です。」

【2024年8月6日放送】