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養成塾で後継育成 井波彫刻の取り組み

2024年8月7日 21:07
養成塾で後継育成 井波彫刻の取り組み

南砺市の伝統工芸・井波彫刻は、担い手の確保が長年の課題となるなか、地元の組合が職人の養成塾を開き後継の育成を進めています。梅本記者のリポートです。

一心に木を彫るのは、群馬県出身の松﨑曜里さん20歳です。短大でアートデザインを学び、木に関わる仕事がしたかったといい、今年4月に、井波彫刻師の石原良定さんに弟子入りしました。

松﨑さん「私は最初、ただ木を彫るみたいな大雑把な感じで入ったんですけど、自分で考えながら動かして、カタチをきれいにしていくというのが難しいですね」

今は石原さんのもとで仏像を彫りながら、技術の習得に努めています。

石原さん「これとこれ、1枚なんだけど、ここ一緒になっとるやろ、しわが」

松﨑さんは、南砺市井波の街並みと瑞泉寺の木彫刻に強くひかれ、井波彫刻師への道を選んだといいます。

松﨑さん「やっぱり、修行というか、技術の面でも心の面でも、厳しく鍛えるってことはすごく大切だと思います」

こちらは、南砺市出身の野原陽万里さん26歳です。井波彫刻の技に圧倒されたといい、去年彫刻師の砂田清定さんに弟子入りしました。

野原さん「ここが、先生、尻尾があたるんですけど」砂田さん「らんまの場合は、どうしても、この下の部分いうのが一番やりにくい所、誰がやってもやりにくい」

野原さんは当初、この道へ進むことをちゅうちょしたといいます。

野原さん「このまま、いきなり彫刻に弟子入りして大丈夫なのかなとか、長い弟子入りを積み重ねる、修行の場なので、そんな安易に関わっていいものなのかなというのは正直ありました」

井波彫刻師の数は現在、およそ100人。高齢化などにより全盛期の半分程度となっています。

こうした中、担い手の確保や技術の継承にも影響が出ています。これまでは、職人が弟子を雇い、師弟関係のもとで高い技術が受け継がれてきましたが、時代とともにこうしたやり方を維持するのは難しくなっているといいます。

石原さん「技術を教えながら、働いてもらっているので、給料もあげなくてはいけないので。今どきの若い人は、将来仕事をとってということになると、なかなか難しい時代」
砂田さん「すぐ入門というのは、やはり本人も大変だし」

こうした中、彫刻に関わる人の裾野を広げようと、地元の職人らでつくる組合は去年5月、井波彫刻の基礎が学べる塾を開講しました。

金沢市から参加の51歳男性「気軽に体験できる。去年の第1回から来てます」

それまでは職人を養成する職業訓練校がありましたが、組合員の弟子しか入校できないという条件などもあり、去年3月に休校を余儀なくされました。

塾は受講資格を緩和し、14歳以上なら誰でも受け入れ、職人を目指すコースと愛好者向けのコースをそれぞれ設けました。

受講をきっかけに職人を目指す人もでていて、野原さんはこの塾を経て弟子入りしました。

また、松﨑さんなど地元の職人に弟子入りしている8人が、この塾を受講しながらプロを目指しています。

松﨑さん「同じように弟子をやってる人たちと関わってやっていけるのがいちばんいいかなと思います」

塾には首都圏や関西地方から参加している人もいます。年齢は18歳から80歳までと幅広く、受講者は当初の18人から40人近くに倍増しました。

指導講師の1人、藤﨑秀平さん65歳です。自身も2人の弟子を育てていますが、塾ではこれまでの師弟関係ではあまり意識されなかった受講者の思いをくみ取ることを大切にしているといい、取り組みに手ごたえを感じています。

藤崎さん「今風でいいのかなあと。うちら(彫刻師)の意識も、やはりちょっと変えていかないと」

松﨑さんと野原さんは今、砂田さんが携わっている沖縄の世界遺産・首里城の復元の現場にも入り、文化財復元の技にも触れています。

野原さん「親方を横目で盗み見したりとか、しっかり見て、自分のものにできていければなあと」

師匠と弟子という関係の中で受け継がれてきた井波彫刻。社会の変化を受け入れながら次の世代に伝統の技をつなぐため、模索と挑戦を続けています。

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