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無罪の死刑囚 ~免田栄は問い続ける~

2022年2月11日 16:26
無罪の死刑囚 ~免田栄は問い続ける~

2020年12月、元死刑囚、免田栄さんが95歳で亡くなりました。初の「死刑冤罪」として知られる「免田事件」とはいったい何だったのでしょうか。

免田栄。その人は、無罪の死刑囚。

免田さんの妻・玉枝さん「いっぱい苦労した人ですから、よろしくお願いします」

身に覚えのない罪で、自白を強要された。

免田さん「踏む、蹴る、殴る、強制、誘導尋問、暴力という戦術があるんですけど」

出された判決は「死刑」。34年間、処刑の恐怖におびえ続けた。

免田さん「刑務官の足音が近づいてくるんだから、廊下を。その足音がどこに止まるか、自分か自分でないかどうかというところです」

やり直しの裁判でついに無罪を勝ち取った時…

記者「免田栄さんは、無罪という判決が出ました」

免田さん「皆さんのおかげで自由社会に帰って来ました」

23歳の青年は57歳になっていた。無罪となったあとも、世間の目は厳しく地獄は終わらなかった。

免田さん「確かに再審で無罪になりましたけれども、いまだに私は死刑囚なんです。社会が許しませんもん。何かの機会があると『免田さんうまいことやったな』って言うでしょ、『被害者はどう思うんですか』って、『もらった金はどうしますか?』って、そういう声が聞こえてくる」

その人生が、大きく歪みだしたのは、戦後の混乱が続く1948年12月。何者かに夫婦が殺害され、2人の娘が重傷を負った。素行が悪いと目を付けられ、突如、警察官に連行される。

免田さん「徹底的に疲労させておいて、食事も与えない、寝させない、水も飲ませないという扱いの中から自白を」

免田は、ついに自供に追い込まれる。だが、裁判が始まると否認に転じた。自分にはアリバイがある。事件当日は女性と一緒だった。それが証明できれば濡れ衣は晴れる。

女性「その時に免田栄さんは、私の部屋にいたから」

女性は当初からそう証言していたが「一緒にいたのは事件の翌日」と勝手に調書を作られたという。裁判では有力な物的証拠はなかったが「自白」が重視され、出された判決は「死刑」。控訴・上告を重ねたが、死刑が確定する。

本人の手紙から『本当につらく、いや、悲しい。絶望の生地獄でありました』

その苦しみを獄中でつづった。家族などに書いた手紙は1400通にのぼる。読み書きが苦手だったが無罪を訴えるため必死に勉強し、やがて裁判記録を書き写せるようになった。記録を調べる程、強要された自白と、事件の状況の矛盾が浮上してきた。1979年、再審開始が決定する。そして「主文、被告人は無罪」裁判所が誤りを認めたのだ。

再審の裁判長「アリバイが成立すると、証拠上。そんな事件でよくもまあ死刑にしたもんだ」

だが、待っていたのは「無実」とは信じてもらえない地獄だった。故郷の熊本を離れ、社会復帰後に出会った妻の玉枝と2人、6畳二間の平屋で暮らしていた。

免田さん「郷里には行かないです。郷里はもう今のところもう地獄ですから」

奪われた名誉。その回復はあまりに困難だった。郷里、熊本に戻る日は来なかった。無罪の死刑囚・免田栄は静かにこの世を去った。多くの言葉を遺して。

玉枝さん「免田の資料を置いてますけど、それが皆さんに利用される機会は今からだと思うんですよね。生きた教科書ですからね」

無罪の死刑囚、免田栄は問い続ける。


NNNドキュメント2021年12月5日放送『無罪の死刑囚 ~免田栄は問い続ける~』(くまもと県民テレビ制作)を再編集しました。
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