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愛子さまと馬とオマーンの王女(下)

2021年5月29日 11:38
愛子さまと馬とオマーンの王女(下)

天皇陛下にアラブ純血種の馬をプレゼントした中東オマーンは、日本と浅からぬ縁がありました。第2次大戦の前、退位した前国王が神戸で日本人女性と恋をし、結婚して生まれた女の子がいるのです。「美しい」という意味のブサイナ王女。陛下に馬を贈ったカブース前国王の叔母です。オマーン王家にとって日本は王女につながる特別な国でした。(日本テレビ客員解説委員 井上茂男)


【皇室コラム】「皇室 その時そこにエピソードが」第8回 <愛子さまと馬とオマーンの王女(下)>


■退位した国王と日本人女性の間に生まれた王女

オマーンが国連に加盟したのは1971(昭和46)年です。かつては海洋貿易で名を馳せた強国ですが、英国の保護の下に長く鎖国を続け、アラビア半島で「最も知られざる国」と言われていました。開国して近代化を進めたのが、宮廷クーデターで王位に就いたカブース前国王です。

日本はこの年、オマーンを国家として承認し、クウェート大使らが視察に訪れます。一行は当時のカブース国王や叔父のターリク首相と面会しました。ターリク首相は異母妹のブサイナ王女に「祖国を見せてやりたい」と話し、外務省の鰐淵和雄氏が「オマーン旅行記」(中東調査会の『中東通報』)の中で33歳になる独身の王女の消息を伝えたのです。

2年後の1973(昭和48)年5月、朝日新聞の特派員がオマーンを訪れ、マスメディアで初めて王女の消息を報じました。「回教の国の混血王女、母が日本人、神戸生まれ、30歳半ば」。記者は男性だったためにイスラムの戒律で王女に会うことができませんでしたが、やっと見ることができた王女の写真をもとに、容姿や近況などを伝えました。

記事などの情報を総合すると、カブース前国王の祖父のタイムール元国王は、病気を理由に退位し、1935(昭和10)年、世界漫遊の船旅に出ます。寄港した神戸で大山清子という19歳の日本人女性と出会い、日本での永住を決意して再来日し、結婚します。元国王49歳の頃です。しかし、清子さんは結核のために23歳で亡くなります。幼い女の子はタイムール元国王に引き取られ、日本との関係を断って、第1夫人の元でオマーンの王女として育てられました。その元国王も1965(昭和40)年にインドで亡くなっています。

当時の新聞を調べると、大阪毎日新聞には「アラビアの豪族 愛人の懐ろへ帰る 契りは固し みなと神戸の娘朗らか」(昭和11年9月18日)、神戸新聞には「前オマーン國王が神戸で国際愛の巣 きのう 愛児の現国王兄弟が遙々と」(昭和12年12月24日)などの記事が見え、話題だったことがうかがえます。

■お忍びで墓参に来日

1973(昭和48)年6月、「週刊朝日」の女性記者が王女に会ってインタビューし、「スクープ ベールを脱いだ熱砂の国のブサイナ姫」として伝えます。通訳として立ち会ったのは、王女の異母兄のターリク元首相です。取材した下村満子氏の『アラビアの王様と王妃たち』(朝日新聞社)によると、王女は「もの心ついて、はじめて、日本人にお会いできて、本当にうれしい」とアラビア語で迎えたそうです。

大柄で、アラビア人より日本人に近い顔立ち――。下村記者が持参した浴衣を着る王女の写真がグラビアにあります。王女は「私は確か日本の名前を持っていたときいていますが」と尋ね、「節子」と聞くと、「セツコ、セツコ」と初めて聞く名を繰り返しました。この時、箱に大切にしまわれていた薄汚れた2冊のノートを見せられ、日本語を読んでほしいと頼まれます。「病魔に負けてたまるか。可愛いブサイナのために……」。それは亡き母が日々の心情を綴った日記でした。

王女とターリク元首相は「墓参りのために日本に行きたい」と話し、その言葉通りにお忍びで来日します。1978(昭和53)年9月のことです。訪ねたのは兵庫県稲美町にタイムール元国王が建てた墓です。清子さんの親類たちと会い、王女は墓に花を手向けて人目も構わず泣き伏しました。神戸新聞によれば「お墓という形が残っていてうれしかった」と話したそうです。

話は大正時代に遡りますが、国王時代のタイムール元国王に日本を強く印象づけた日本人がいました。地理学者の志賀重昂(しが・しげたか)です。著書『知られざる國々』によると、志賀は1924(大正13)年にオマーンを訪ね、王宮に国王を訪ねて面会が許されます。国王は「よくここまで来てくれた。アラビアも日本も同じアジアなのに、なぜ日本人はアラビアに来ないのか。来て商売し、工業を興し、親交を図ればお互いのためになるのに」と力説し、志賀と意気投合しました。この訪問が国王に“日本熱”をもたらしたのです。

■“友情の印”の死に感謝を伝えた陛下

2018(平成30)年4月7日、オマーンの前国王から天皇陛下に贈られたアラブ純血種の馬「アハージージュ」は御料牧場で死にました。28歳。かなりの高齢でした。人なつっこく、穏やかな馬だったそうです。この時、両陛下は愛馬の死の報告と感謝の気持ちをカブース前国王に伝えられました。その前国王も、昨年1月10日、79歳で亡くなりました。陛下は新国王に弔電を送ってその死を悼まれました。1963(昭和38)年、留学し、軍務に就いた英国から帰国する途中、来日して日本の文化に目を瞠(みは)った人でした。ブサイナ王女にとって、前国王は叔母として尊敬してくれ、時々訪ねてきて優しい言葉をかけてくれる人だったそうです。

アハージージュを詠まれた歌が天皇陛下にあります。「草原をたてがみなびかせひた走るアラブの馬は海越えて来ぬ」。カブース前国王がプレゼントした時の光景も思い浮かぶ歌です。

陛下はオマーンで見た灌漑用水路「ファラージ」を水問題の講演で紹介されています。前国王の寄付により、2011(平成23)年には東京大学に「カブース国王講座」が設けられました。陛下を迎えて開かれた国際シンポジウムには、後に国王となるハイサム遺産・文化大臣がオマーンから来日し、新たな交流も始まっています。

もしかすると、交流が深まっていく先に聞こえてくるのがアハージージュの意味する「歓びの歌」であり、音楽を愛した前国王の耳には明るいメロディが聞こえていたのかもしれません。オマーンとの交流を考える時、アハージージュや豊歓のことだけでなく、タイム-ル元国王やブサイナ王女のことも忘れてはいけないと思います。
(終)

(冒頭の動画は、カブース前国王から馬を贈られた天皇陛下と皇后さま」<1994年11月 オマーン>)


【略歴】
井上茂男(いのうえ・しげお)
日本テレビ客員解説委員。1957年生まれ。読売新聞の宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚や、雅子さまの病気、愛子さまの成長を取材した。著書に『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。

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