150年前の建造物『赤れんが商家』が交流の場に【高知】
高知県香南市赤岡町に150年前の明治初期に建てられた「赤れんが商家」と呼ばれる、国の有形文化財があります。
その場所は今、時を超えて学生や住民たちの交流の場となっているそうです。その魅力を取材しました。
■井出一崇アナウンサー
「ここ香南市赤岡町はかつて商人らで賑わいました。そのシンボルがこの『赤れんが商家』です。今、赤れんが商家を拠点に地域活性プロジェクトが進んでいます」
香南市の「赤れんが商家」は明治初期に旧赤岡村の初代村長・小松与右衛門の邸宅として建てられたもので、特徴の1つが赤いレンガ。外壁に赤レンガが使われ、建物は明治初期の建築様式がそのままの形で残っています。
一方、建物の中には古い家財道具が並んでいて広い土間にも赤レンガが敷き詰められています。これは全国的にも珍しいそうです。
赤れんが商家は2014年に住民らによる室内の修繕などが始まり、2017年には住民や専門家による、赤れんが商家を拠点とした地域づくりを目指す「すてきなまち・赤岡プロジェクト」が発足。今年8月、国の登録有形文化財になりました。
プロジェクトの立ち上げメンバーの1人が高知工業高等専門学校ソーシャルデザイン工学科准教授の北山めぐみさんです。
■北山 めぐみ准教授
「神戸出身なんですけど、阪神淡路大震災で神戸らしい建物がたくさん壊れた。それを機に地元の建物を地元の建築士が残そうという取り組みが進んだ。10年前に高知に来て、地域らしい建物を地域の人達に残すような活動をして、歴史的な建物いいなと思う人を作りたかった」
北山さんは建築の専門家で、その立場から学生や地域の人たちを対象に毎月、ワークショップを開いています。
この日、北山さんたちは修繕したかまどを使って料理を作りました。かまどに火をおこしてコメを炊き、地域の人が届けてくれた野菜で豚汁を作りました。
北山さんは建物の保全だけでなく、赤れんが商家を伝統木造建築の実践的な学びの場としたのです。
ワークショップでは地元の大工の協力を得ながら学生や住民たちが床板や釜屋、大屋根などを修繕。
学生たちは自ら釘を打ったり、漆喰を塗り直すことで本物の建築物を見て、触れて理解を深め、地域の人たちは学生たちとの交流を楽しんでいました。
赤れんが商家は明治初期に建てられた後、大正時代は靴の販売店となるなど150年の間、住居や商いの場へと形を変えながら2011年まで使用され、町のシンボルともなっていました。実は2013年に老朽化で解体が決まっていましたが住民が反対し、工事の2日前に解体は中止となったそうです。
その後、北山さんたちの活動がスタート。少しずつ、かつての姿を取り戻し、賑わいも戻ってきました。
建築から150年の時を経た今も、地域のシンボルとして佇み、学びや交流の場となっている赤れんが商家はこれからも地域を明るく照らす存在となりそうです。
その場所は今、時を超えて学生や住民たちの交流の場となっているそうです。その魅力を取材しました。
■井出一崇アナウンサー
「ここ香南市赤岡町はかつて商人らで賑わいました。そのシンボルがこの『赤れんが商家』です。今、赤れんが商家を拠点に地域活性プロジェクトが進んでいます」
香南市の「赤れんが商家」は明治初期に旧赤岡村の初代村長・小松与右衛門の邸宅として建てられたもので、特徴の1つが赤いレンガ。外壁に赤レンガが使われ、建物は明治初期の建築様式がそのままの形で残っています。
一方、建物の中には古い家財道具が並んでいて広い土間にも赤レンガが敷き詰められています。これは全国的にも珍しいそうです。
赤れんが商家は2014年に住民らによる室内の修繕などが始まり、2017年には住民や専門家による、赤れんが商家を拠点とした地域づくりを目指す「すてきなまち・赤岡プロジェクト」が発足。今年8月、国の登録有形文化財になりました。
プロジェクトの立ち上げメンバーの1人が高知工業高等専門学校ソーシャルデザイン工学科准教授の北山めぐみさんです。
■北山 めぐみ准教授
「神戸出身なんですけど、阪神淡路大震災で神戸らしい建物がたくさん壊れた。それを機に地元の建物を地元の建築士が残そうという取り組みが進んだ。10年前に高知に来て、地域らしい建物を地域の人達に残すような活動をして、歴史的な建物いいなと思う人を作りたかった」
北山さんは建築の専門家で、その立場から学生や地域の人たちを対象に毎月、ワークショップを開いています。
この日、北山さんたちは修繕したかまどを使って料理を作りました。かまどに火をおこしてコメを炊き、地域の人が届けてくれた野菜で豚汁を作りました。
北山さんは建物の保全だけでなく、赤れんが商家を伝統木造建築の実践的な学びの場としたのです。
ワークショップでは地元の大工の協力を得ながら学生や住民たちが床板や釜屋、大屋根などを修繕。
学生たちは自ら釘を打ったり、漆喰を塗り直すことで本物の建築物を見て、触れて理解を深め、地域の人たちは学生たちとの交流を楽しんでいました。
赤れんが商家は明治初期に建てられた後、大正時代は靴の販売店となるなど150年の間、住居や商いの場へと形を変えながら2011年まで使用され、町のシンボルともなっていました。実は2013年に老朽化で解体が決まっていましたが住民が反対し、工事の2日前に解体は中止となったそうです。
その後、北山さんたちの活動がスタート。少しずつ、かつての姿を取り戻し、賑わいも戻ってきました。
建築から150年の時を経た今も、地域のシンボルとして佇み、学びや交流の場となっている赤れんが商家はこれからも地域を明るく照らす存在となりそうです。
最終更新日:2024年12月13日 19:03