人や物資が限られる中で迫られる決断と葛藤…“2人に1人が高齢者”被災地・輪島市の福祉避難所の現実 心を病んでしまう職員も…【キシャ目線2024】
能登半島地震の被災地は高齢化率が50%前後と、全国的に見ても高い状況となっています。被災地では長期化する避難生活の中、通常の避難所では避難生活が難しい高齢者や障害者らを受け入れる「福祉避難所」のニーズが高まっています。
一方で、現場を取材すると、施設自体の建物被害や人手不足に頭を抱え、当初からの施設の入所者に加えて、新たに避難者を受けることは容易ではない現実も見えてきました。(報告・小川典雅)
■深刻な高齢化に厳戒な冬、新型コロナも…
「今回は単なる地震ではなく、間違いなく複合災害だ」
言葉尻は多少違えど、全国各地から応援で入っている何人もの医師らが現場を見て、実際に口にしていた言葉です。
具体的には、①震度7の揺れ、②交通網が脆弱なへき地、③2人に1人が高齢者という深刻な高齢化、④冬、⑤インフルエンザや新型コロナウイルスなどの感染症と、主なものだけでこの5つが今回の能登半島地震の被害をより深刻なものとしているというのです。
福祉避難所に避難していた女性(57)
「自宅は地震で傾いた。応急危険度判定で“危険”とされたが、断水さえ解消されれば、また自宅で暮らしたいと思っている。ずっと輪島で暮らしてきたので、ほかの地域に避難するつもりはないです」
過酷な環境下で長期化する避難生活に対し、県では「いしかわ総合スポーツセンター」に開設した1.5次避難所や県外などを含めた広域避難を進めていますが、長年、能登地方で暮らしていた高齢者らにとっては、故郷を離れる不安などから「被災地に残る」という決断をしている人も多くいます。このため被災地では、通常の避難所では避難生活が難しい高齢者や障害者らを受け入れる「福祉避難所」のニーズが高まっています。
福祉避難所とは、車いすの人に対応したトイレやスロープなど、バリアフリーの設備や医師、看護師、介護士などの専門の知識を持った人たちがいる避難所のことです。学校の体育館など普通の避難所での避難生活が難しい人たちのための場所ですが、一方で、どこにでも設置できるというものではありません。設備が整った高齢者施設や障害者施設などでなければ、設置することが難しいのです。
■元気な入所者を広域避難してもらいスペース確保も…わずか2日で満員に
記者が取材で訪れたのは、石川県輪島市で障害者のグループホームなどが入る福祉施設「ウミュードゥソラ」。通常の避難所にいる被災者のうち、災害派遣医療チーム「DMAT」が、生活に特別なサポートが必要だと判断した人たちを地震発生8日目の夜から受けて入れている場所です。
許可を得て、施設の中を案内してもらいました。施設内は大きく分けて2つのスペースがあり、もともとの入所者の人たちが生活しているスペースと、避難者の人たちが生活するスペースがありました。
施設の運営会社の理解や協力があって、避難者らを受け入れるために、入所者のうち元気な人たちには広域避難をしてもらうなどして、避難者を受け入れるスペースを作り出すことができたといいます。ただ、入所者の全員が施設外に移動することはできないので、施設の中でこれまで通り生活している人も10人程度いるということです。新たに作り出せたのは、学校の教室1部屋分よりやや広いくらいのスペースです。通路などの動線は確保されていますが、ここに約30人の避難者がぎっしりと身を寄せていました。避難者の受け入れを始めて、わずか2日で満員になってしまったといいます。
福祉避難所の運営をサポートする在宅医療専門の医療法人オレンジ(福井市)の代表で、医師の紅谷浩之さん「それだけ通常の避難所では避難生活が難しく、特別な支援を必要としている人たちが多くいるという証です。本当はもっと受け入れたいのですが、どうしても1つの施設だけでは限界があります」
この福祉避難所では、朝昼晩と、おにぎりなどのほかに味噌汁など温かい食べ物も提供されます。近くの施設などで使わなくなった電動リクライニングベッドなどもあり、通常の避難所よりもかなり環境としては整っている印象を受けました。飲み物も水やお茶のほかに、オレンジジュースやコーラといった甘い飲み物などもあり、被災者らに人気でした。
市内の他の避難所から移ってきた車いすの男性(60代)「前の避難所はご飯もあまりあたらなかった。出てくるのはパンばかりで、最後に残ったのは俺1人だけ。車イスより一回りくらい広いスペースで、目の前に電気ストーブを置いて、毛布をかけて車いすで寝起きしていた。ここは快適で移ってこられてよかった」
物資は届き始めている一方で、足りない物もあると紅谷さんは話していました。
紅谷さん「物資はほぼほぼ十分にありますが、薬だけは不足しています。あと一番不足しているのは人手です。医師や看護師など圧倒的に足りていない」
実際、取材した時点で避難所では新型コロナウイルスの感染者が2人、病名は不明なものの発熱の症状がある人が2人いましたが、人手やスペースの問題で隔離することが難しく、薬も十分にないため、マスクをして飛沫の拡散を防いだ上で、大部屋でほかの避難者と一緒に生活を送らざるを得ない状況でした。
また、紅谷さんが明かしたのは今回の地震の避難者たちの特徴です。
紅谷さん「驚いたのは過去の災害と比べても避難所に来る高齢者の割合が高いこと。高齢者の人たちはたった2~3日寝込んでいるだけでも数週間分の体力低下があって、特に足腰の筋力低下が激しい。何日か前まで元気だったのに、気づいたときには自分で歩くことができないという高齢者も多くいて、病院に搬送されていくケースもある」
■人や物資が限られる中で迫られる施設の決断と葛藤…中には心を病んでしまう職員も
当然のことながら、もとの入所者のひとたちは利用料金を払って、施設で生活を送っています。一方で、避難者の人たちは無料で同じ施設内で暮らしていることになります。施設側からすれば、もとの入所者の人たちを抱えている分にはこれまで通りの収入はあるわけですが、それを言わば、諦める形です。しかし、それでもこちらの福祉避難所では困っている人たちを助けたいということで受け入れを進めることに舵を切ったということです。
ただ、はじめのうちは施設側の“厚意”で入所者と避難者に同じサービスを提供していましたが、災害時で物資や人手も限られる中、ずっと同じことを続けていくには限界が訪れます。次第に入所者と避難者で同じ料理やサービスを提供できず、負い目を感じて、結果として、精神的にまいってしまう職員も出てきてしまったといいます。
そこで、持続可能な福祉避難所の運営のために、このように方針転換したといいます。
・職員らはまずは入所者を優先すること。
・避難者らには施設の職員ではなく、応援で来ているチームの方で対応すること。
・避難者らの食事やサービスはできる限りで構わないことを許容する。
結果として、今では入所者と避難者、それぞれのサービスがうまく回るようになってきたということです。
元々、輪島市は地震が起きた時に、福祉避難所を開設してもらえるよう、地震前には25の施設と協定を結んでいました。しかし、蓋を開けてみれば、発災から10日以内に福祉避難所として開設できたのはわずか3か所でした。
輪島市の担当者は取材に対し、「施設自体が建物被害を受けていたり、職員も被災して出勤することが難しかったりするという話はよく聞きます。想定外に地震の被害が大きく、協定を結んでいるからと言って、施設側に福祉避難所を開いてくれと強くお願いすることは難しい」と話していました。
■「避難所が高齢者であふれる光景は今後、全国どこでも起きうる」 福祉避難所のあり方再確認を
記者が取材をしていて、印象に残った言葉がありました。先ほどの紅谷医師の言葉です。
「今、日本では各地で高齢化が進んでいる。能登半島で起きていることは高齢化の進む日本では近い将来、どこでも起きうることだ」
自分たちが住んでいる場所では、10年先、30年先も災害級の地震は起こらないかもしれません。でも、もしかしたら、きょう起こるかもしれません。これだけは本当に誰にもわかりません。
そうした中で、1人でも多くの“災害弱者”の命を救うために、とりわけ地震の揺れや津波による直接死ではなく、避難所生活での持病の悪化など“関連死”での死者を減らすためには、こうした福祉避難所のあり方をそれぞれの地域で改めて考え直す必要があります。
読売テレビ 小川典雅記者(プロフィール)
東日本大震災など数多くの地震・水害の被災地を取材。中学時代を石川県で過ごした。今回の能登半島地震では、避難所や断水の取材のほか、専門家による超近距離津波の研究などにも同行。