【戦後80年】日本はなぜ戦争に? 引き返せなかった理由に「情報戦」「空気」「メディア」 いまを、戦前にさせないために
「広島と長崎に原爆が投下され、戦争が終わって80年となる今年。私たちは『いまを、戦前にさせない』をテーマに、様々な企画をお伝えします。今回はプロジェクト初回です。『いまを、戦前にさせない』という言葉に込められた意味は、どういったものでしょうか?」
伊佐治健・日本テレビ報道局長
「私たちはこれまで、戦争を経験した方、そのご家族などに取材し、過去の戦争の悲惨さを伝え、二度と起こしてはならないという思いをお届けしてきました」
「しかしいま、ウクライナ侵攻やガザ侵攻など、世界的に分断・対立が深まっています。ウクライナ侵攻には北朝鮮が加わりました。日本周辺では中国軍やロシア軍が、領空侵犯などを繰り返しています」
「80年前の大戦を改めて見つめ、戦争の兆しを見逃さないようにという思いを、『いまを、戦前にさせない』という言葉に込めました」
黒田アナウンサー
「『戦争の兆し』という言葉もありましたが、私たち日本人も、決していま起こっている戦争が遠い国の無関係な出来事と思わないというのも大切なことですよね」
黒田アナウンサー
「太平洋戦争は日本だけで310万人、第二次世界大戦全体の死者は数千万人とも言われます。いまとなっては、日本がなぜそんな戦争をしたのか理解が難しいのですが…」
伊佐治局長
「なぜ戦争を始め、勝ち目がないと見えてもやめなかったか。なぜ降伏の決断が遅れ、際限なく犠牲者を増やしてしまったのか。当時からいまに至るまで、様々な考え方があります」
「10年前、安倍政権は戦後70年談話で政府の見解を発表し、『我が国は痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた』と述べ、侵略にも言及しました。この作成をリードした、東京大学名誉教授の北岡伸一さんに聞きました」
伊佐治局長
「日本がなぜ戦争に踏み切ったか。どこに焦点があったと考えますか?」
北岡名誉教授
「いくつものポイントがあるので簡単には言えませんが、非常に大きかったのは、私は大恐慌だと思いますね。日本が大陸に持っていた権益も色々脅かされた。実力で確保しようと軍が出てきて、満州事変が起こった。これが短期的には成功してしまったんですよね」
「やがて満州国(当時)という形にして、これを守るために中国との戦いをして、中国との戦いの行き詰まりを打開するために日米戦争となってしまった」
「何度も引き返すチャンスはあったと思います。しかし引き返すというのは、いくつか得たものを捨てるということですよね。日本はそういう判断はできなかった」
伊佐治局長
「北岡さんの認識はこうです。まず世界恐慌がありました。経済の危機をきっかけに満州事変、そして日中戦争が起きました。中国との戦いがあり、行き詰った挙げ句、太平洋戦争でアメリカとの戦争に至ったとしました」
「さらに、当時の指導者が戦争をやめる判断ができなかった主な理由として、北岡さんは3つ挙げています。1つ目は情報戦での失敗。特に戦争末期、旧ソ連の仲介による和平の実現に固執して正しい情報が中枢に入らず、降伏が遅れたことです」
「2つ目は、モノ言えぬ“空気”です。多くの兵士を死に追いやったインパール作戦など、意味がないとわかっていても止められない旧日本軍の“空気”があったといいます」
「さらに3つ目は、メディアの責任です。政府の言論統制に抵抗できず、戦争の実情を正確に伝えなかったことなどを北岡さんは挙げています」
黒田アナウンサー
「『いまを、戦前にさせない』ために、私たちにできるのはどういったことですか?」
伊佐治局長
「まずは、戦争の兆しを見逃さないことです。過去に、戦争の兆しはどんなところにあったか。ロシアが2014年に国際秩序を無視してクリミア半島を力ずくで併合した時の国際社会の対応が、その後のロシアのウクライナ侵攻につながったとも言われます」
「中国の強引な海洋進出も、国際ルールに反する動きです。そしてアメリカも含め、大国が“自国ファースト主義”になり、国際協調を軽んじるという今の傾向も見逃せません」
伊佐治局長
「もう1つは、複合的な抑止力の構築です。戦争の抑止へ、日本は防衛力強化で中国や北朝鮮の軍事的威圧をけん制しています。一方で、外交力を通じた抑止も安全保障の基本です」
「国際平和に対する大国のリーダーシップが見えづらいいま、日本がどのような役割を果たせるのか。そして、ネットやSNSの発達で、当時と環境は大きく変わったメディアの役割も、戦後80年の大きな論点と言えそうです」
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広島・長崎に原爆が投下され、戦争が終わって80年となります。戦争をした国に生まれた私たちが、二度と戦争を繰り返さないという「誓い」の意味を改めて考えます。情報提供サイトで資料や証言を募集しています。