男鹿の加茂青砂地区に移住 東京出身大学生の決意
少子高齢化が著しく進む男鹿市の加茂青砂地区に移住する大学生がいます。この春、家探しを本格的に始め、新たな生活の準備を進めています。実際に暮らしてこそ体感できる地区の魅力を発信していきたいと話す、大学生を取材しました。
男鹿半島の西海岸にある加茂青砂地区。
その自然や人にほれ込んでやってきたのは、平均年齢が70歳あまりの住民の孫世代にあたる大学生。
東京出身、二十歳の歩みです。
加茂青砂の、かつて小学校だった建物の裏にある畑。
耕作放棄地になっていたこの場所で、県立大学アグリビジネス学科の准教授と2年生の新堂秀さんが去年からニンニクを育てています。
新堂さんは、大潟村にある大学の寮からたびたび加茂青砂を訪れています。
新堂秀さん
「この加茂青砂の資源を活用しながら、野菜を作って。自分が食べる分もそうですし、お世話になる加茂青砂の方々に配れるような、それくらいの量の野菜を作りたいなと思っています」
通い続けるうち、加茂青砂に実際に住んでみたいと思い始めた新堂さん。
住む家を探していた3月、住民に紹介された空き家の所有者との話し合いに臨みました。
新堂秀さん
「自分が魅力を感じたようにほかの同世代の人にも知ってほしいなという強い思いが生まれました。ただ自分はまだ知っているのは表面的な、訪れた中での魅力だけなので、実際に暮らしている方々の生活というのを体験してみないと、真の魅力はわからないと思うので、魅力を発信するにはそこからだなと」
都会育ちの新堂さんがどれくらい本気なのか。
いまは関東に住んでいる空き家の所有者が確かめました。
大学の講義を受けるため、毎日のように秋田市に通わなければならない新堂さん。
大潟村のキャンパスでの講義が中心になる来年春に本格的に移住したい考えで、それまでは空き家を借りる形にしたいと説明しました。
すぐに売りたかった所有者との間に食い違いも。
県立大 酒井徹准教授
「だから新堂君と一般の方と競争するような」
同席した住民の大友捷昭さん
「出したってもらわないよな。空き家は出したって先生もらわない、売りに出したって。くれるって言ったってもらわないよ。金かけてほごさなきゃだめだもの。みんないまの時代そうだ」
所有者の妻「(短く間)とりあえず、4月から。住みたいっておっしゃるならば住んでもらっても構わないんで」
使える家具などをそのまま残してもらう形で暮らせることになりました。
新堂さんの入居が決まったのは築40年の空き家です。
ここを拠点に加茂青砂の魅力を見つめて、発信していくことにしています。
新堂さん
「本当に落ち着くというか。自分の一番居いい場所なので。自分がいて、ビジネスをして。生計を立てられるように。ここで快適に暮らしていけたら自分の中ではベストなのかなと思っています」
この日、新堂さんが入居する空き家をかつての住人の妹と孫が訪れました。
ほかの人が暮らす前の状態を見ておきたいとやってきた2人。
元住人の妹 平賀喜代子さん
「着工する段階だったんだけど、(日本海中部)地震があったがためにちょっと遅らせて、筋交いって言うの?大工さんが言ってた、すごい丈夫に建てたんだって」
まだ感じ取ることができるかつての主の暮らし。
元住人の孫 伊東咲さん
「祖母のいないこの家っていうのがなんとも言えない、言葉にならない感情ですね。悲しいさみしいというところと、懐かしいというところと。でもいろいろそのままで住んでいただけるということなので良かったなと思います」
新堂さんは、まずは週に2、3日加茂青砂に滞在しながら、本格的な移住に向けた準備を進めます。
新堂さん
「やっぱりこの家にいろんな人の思い出が詰まっていて、それを、その家を受け継がせてもらうということで。生半可な気持ちで暮らしてはけないなと思ったので。自分も精いっぱい生活させてもらいたいと決意しました」
新堂さんは、移住の後押しをしてくれている加茂青砂の住民と一緒にあいさつ回りをしました。
移住に先立って、新堂さんは、秋田の魅力をまとめた本の制作に携わり、加茂青砂のページを担当しました。
取材でお世話になった人たちに本を手渡した新堂さん。
自分が知らない時代の加茂青砂の話も教えてもらいました。
これから加茂青砂でどんな未来を描いていくのか。
大学を卒業した後も暮らし続けたいと考えている新堂さんが、はじめの一歩を踏み出しました。