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“マザーキラー”と呼ばれる子宮頸がん 亡き妻からの言葉で絶望から立ち直ったバルーンアーティスト

2024年6月14日 14:20
“マザーキラー”と呼ばれる子宮頸がん 亡き妻からの言葉で絶望から立ち直ったバルーンアーティスト
子宮頸がんで亡くなった妻・ヤスコさん

マザーキラー。こう呼ばれている“がん”がある。「子宮頸がん」だ。
子宮頸がんは、子宮の出口である頸部近くにできるがんで、日本では毎年約1.1万人が罹患し、毎年約2900人が命を落としている。
他のがんに比べて発症年齢が低く、出産適齢期であったり、子育て時期であったりする女性が罹患することが多いことから、マザーキラーと呼ばれているのだ。

最愛の妻を子宮頸がんで亡くしたバルーンアーティスト

4月上旬、千葉県の袖ヶ浦公園では、桜祭りが開かれていた。満開の桜の中、子どもたちの手にはユニコーンやキリンなど色とりどりのバルーンアートが。このバルーンアートを作っているのは、千葉県のバルーンアーティスト・海賊タロウさん(48)。「みんなが笑顔になれるように」とバルーンアートを様々なイベントで披露している。
“笑顔を届けよう”とタロウさんがバルーンアーティストとして活動を始めたのは、10年前に最愛の妻・ヤスコさんを子宮頸がんで亡くしたことがきっかけだった。自分の経験が役に立てばとの思いから、今回我々の取材に応じてくれた。

いきなり突き付けられた“余命半年”

当時、タロウさんは洋菓子店で働いていて、ヤスコさんはタロウさんの手伝いをしていた。仕事で忙しい日々を送っていた二人。
2012年の秋、ある日ヤスコさんが「生理が重い。背中が痛い」と訴えた。ただ、もともとヤスコさんは生理が重かったため、いつものことだと2人は思った。ただ、2か月が経っても症状は変わらなかった。
その後、半年が経ち、やはりおかしいと思い病院に行ったが、そこで子宮頸がんのステージ4Bの末期であること、余命は半年であると告げられた。あまりにも突然の宣告だった。二人ともすぐには現実とは受け入れられなかった。
ただ、病院の外に咲く桜を見て、「また来年も見れるかな」ヤスコさんは言った。ヤスコさんが38歳のことだった。

亡くなる直前に起こった“奇跡”

そこから、放射線治療と抗がん剤治療が始まった。体中に激しい痛みがおそい、そこにだるさにも加わり、ヤスコさんはみるみるうちに痩せていった。そして副作用で髪が抜けたとき、ヤスコさんは「私はがんなんだ」と改めて認識したという。タロウさんは苦しむヤスコさんにいつも寄り添ったが、何もできない自分が悔しかった。
それでも懸命の治療のおかげで、一時、検査からがんが消えたという。「がんは治ったんだ」と二人は喜び合った。ヤスコさんは自転車に乗って買い物ができるまで回復した。
しかし、喜びは長くは続かなかった。3か月後の検査で、再びがんが見つかったのだ。その後、がんは肺にも転移した。医師からは「肺に転移したら進行は早い」と聞いていたが、その通り進行は早かった。思い出を作るために大好きなディズニーランドにも行ったが、歩くことができなくなっていて、車いすで移動することになった。それでも二人は残された時間を大切に過ごした。
その後、がんは脳にも転移した。すると、次第に字を認識することができなくなり、スマホも使えなくなり、そして、ついには意識が戻らなくなった。医師からは、すでに「いつ何があってもおかしくない」と告げられていた。
意識が戻らない状態が続いていたとき、奇跡が起きた。一時的にヤスコさんの意識が戻ったのだ。ヤスコさんはうまく話をすることはできなかったが、タロウさんはその様子を必死に目に焼き付けた。「ヤスコのどんな些細なことも逃したくなかった」とタロウさんは話す。
その後、タロウさんは片時もヤスコさんのそばを離れなかった。寝ることなく、ずっとヤスコさんの手を握って「あの時、こんなことがあったね」と二人の思い出話をヤスコさんに話していた。もう一度目を覚ましてくれると信じて。
しかし願いは叶わず、2014年12月14日18時36分、ヤスコさんは41歳の誕生日に天国へと旅立った。

妻が残した言葉から目指したバルーンアーティストの道

ヤスコさんが亡くなってから1か月。ヤスコさんを失った悲しみがタロウさんを襲った。「亡くなってから1か月は意外と冷静な自分がいた。でもそこから『本当にヤスコはいないんだ』って思い始めて、死にたいって思うようになった」とタロウさんは当時を振り返る。そして後悔の気持ちが湧き出てきた。「あの時ありがとうって言えばよかった。もっとヤスコと話をすればよかった。毎日、こんなことばかり考えていました」
失意のタロウさんは、気を紛らわそうと趣味を探していたところ、偶然バルーンアートと出会った。習得した技を友達に披露するとみんなが喜んでくれた。その時、ヤスコさんの言葉をふと思い出した。「タロウさんには人を喜ばせることが合っているよ」
そして、タロウさんはバルーンアーティストとして活動していくことを決意した。10年近くが経ってもヤスコさんを失った悲しみは消えることはなく、どうしようもなく落ち込むこともあるという。それでも「悲しみと共存すればいいやって思うと気持ちが軽くなった」とタロウさんは言う。
生前、誰かの役に立ちたいと話していたというヤスコさん。「ヤスコが叶えることができなかった夢を、バルーンアーティストとして活動して夢を叶えたい。バルーンを通して笑顔を届けたい」と、タロウさんは笑顔で語った。

出産年齢を襲う“子宮頸がん”

子宮頸がんは、ヒトパピローマウイルス(HPV)に感染することで生じるがんだ。HPVはどこにでもいるウイルスで、皮膚などにも存在する。HPVに感染しても、ほとんどは自然に消えるのだが、一部の人でがんになってしまうのだ。HPVの感染経路は、主に性的接触によるもので、女性の多くが一生に一度は感染すると言われている。
日本では、子宮頸がんの罹患者は20代から増え始め、罹患率は30代後半にほぼピークに達する。つまり、子作りを検討する年齢でも罹患しやすいがんだということ。この点が子宮頸がんの特徴である。

高い予防効果が期待されているHPVワクチン

冒頭にも書いたが、日本では多くの人が毎年、子宮頸がんによって命を落としている。
そんな子宮頸がんの予防に有効なのが「HPVワクチン」だ。日本では、小学6年から高校1年相当の女子が公費によって接種を受けることができる。HPVには200種類以上の遺伝子型があるが、子宮頸がんの原因となるタイプは少なくとも15種類ある。最新の9価ワクチンでは子宮頸がんを起こしやすい7つの遺伝子型について感染を防ぐことができるため、子宮頸がんの原因の80~90%を防ぐことが期待されている。
また、感染予防効果を示す抗体は少なくとも12年維持される可能性があることがこれまでの研究で分かっている。つまり、公費での接種対象期間に接種を受ければ、妊娠を考えるような時期まで予防効果が続くとみられるということだ。
9価ワクチンについては、一定の間隔をあけて6か月のうちに3回摂取を受ける必要がある。(15歳までに初回接種を受けていれば、6か月のうちに2回の接種でよいとされている)

“積極的勧奨”に舵を切った厚生労働省

子宮頸がんへの予防効果が認められているHPVワクチンだが、日本では2013年4月から定期接種となった。ただ、接種後に全身の痛みを始めとする重い症状などを訴える報告が相次いだ。そのため国は、積極的な接種を呼びかけることを2013年6月から中止していた。その後、厚生労働省はHPVワクチンの有効性や安全性が確認さているなどとして、2022年4月から再びHPVワクチンの接種を呼びかけることにした。
また、積極的な呼びかけを中止していたことにより、接種する機会を逃した1997年度生まれから2007年度生まれの女性については、いわゆる“キャッチアップ接種”として2025年3月まで無料で接種することができる。

なかなか上がらないワクチン接種率

ただ、ワクチンの接種率は低迷している。HPVワクチンの接種を行っている三重県津市にある「金丸産婦人科」の金丸恵子医師は、接種が進まない理由について、そもそもワクチンの周知が不十分で認知が進んでいないことが一因だと話す。特にキャッチアップ接種については、自身が対象であることを知らない人が多いという。厚生労働省が去年1~2月に行った調査では、高校2年相当~1997年度生まれの女性の53%がキャッチアップ接種を知らないと回答した。
金丸産婦人科でキャッチアップ接種を受けた21歳の女性は、産婦人科で話を聞いて初めて自分がキャッチアップ接種の対象だと知ったという。「ワクチンについての情報が接種対象の世代に伝わっていないから、どういうワクチンなのか全く分かってない人が多いと思う」と話した。

キャッチアップ接種に“迫る期限”

接種する機会を逃した女性を対象に行われている“キャッチアップ接種”。来年3月まで無料で接種することができるが、1回目の接種を9月までに打たなければ3回の接種を公費で打つことができない。HPVワクチンは自費で打つとなると、9価ワクチンについては、3回打つと約10万円の費用がかかる。

ワクチンの他に子宮頸がんの予防に有効とされているのが、定期健診だ。厚生労働省は、ワクチン接種の有無にかかわらず、20歳になったら定期的に検診を受けることを推奨しており、金丸医師は、少なくとも2年に1回は検診を受けるべきだと話す。
ワクチンと検診を組み合わせることで、子宮頸がんによる悲しみが少しでも減ることを期待したい。 

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