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【パリ五輪のキーマン】「我慢の時期があったから今の自分がある」名古屋出身・山本麻衣選手“覚醒の理由” 女子バスケ

2024年5月8日 17:35
【パリ五輪のキーマン】「我慢の時期があったから今の自分がある」名古屋出身・山本麻衣選手“覚醒の理由”  女子バスケ

 今年2月に行われたFIBA女子オリンピック世界最終予選で、3大会連続のオリンピック出場を決めた女子バスケットボール日本代表。この勝利を決めたワンプレーがあります。最終戦として迎えたカナダ代表との一戦。残り50秒で83-80と、日本のリードはわずかシュート1本分。ミスが許されないこの状況で勝負に出たのが、名古屋出身の山本麻衣選手(24)です。

 相手選手の厳しいブロックのなかで、体勢を崩しながらもシュートを決めチームを勝利に導きました。この試合、1人で大量21得点し大会MVPも獲得した山本選手。そんな『パリオリンピックのキーマン』の“覚醒の理由”に迫ります。

 今回リポートするのは、元ビーチバレーボール日本代表、愛知県在住の溝江明香さん。今年3月で23年間の競技生活にピリオドをうち、この春からスポーツキャスターに転向しました。
 この日は、山本選手は一人で自主練習中。少し観察していると・・・。


溝江「当たりが多いスポーツなのでウォーミングアップは入念にやると思うけど、ああやって手の平ころころしているのが気になる。手の平刺激しているのかな?」

溝江「山本選手こんにちは」
山本「初めまして」 
溝江「ちょっと近くで並んでいいですか?私結構大きいんですけど(176cm)・・・山本選手、私と比べるとかわいらしい」
山本「163cmしかないので。国際大会だったら自分が大会で一番小さいのが毎回です。なので、同じくらいの身長の選手を見かけると歩きながら横に行ってこうやって・・・やってみたりします」
溝江「すごいわかります」

 そして気になっていた、あのウォーミングアップについて・・・。

溝江「私も現役の時はボールでどこかをほぐしたり、足の裏をころころしたりしていたけど、山本選手は手もこうやっているのが気になった」
山本「これは“ナボソ”というボールなんですけど、このイボイボが感覚を刺激してくれて感覚が良くなるので、こうやってやりながらバス移動したり、ミーティング中もこうやってやりながら話聞いたりして試合や練習に臨むようにしています。」

 人一倍"感覚"に神経をとがらせている山本選手。試合では美しい放物線を描くスリーポイントシュートを量産。
 さらに、どこからでもどんな状況でも切り込んでいける、その多才なシュートセンスとスピードが評価され、3年前の東京オリンピックでは3人制バスケ・3x3に出場。5位入賞に貢献しています。

 そんな“シュートマスター”は一体どんな練習をしているのか。見学してみると・・・打っているのはなぜか、ゴール真下からばかり。

溝江「ボール遊びみたいに見えますけど、普通にシュートするだけじゃなくて向きを変えたり遠いところから投げたりしていますね」

溝江「さっきのいろんな角度から打ったり(体から)遠くで打ったりしているのは?」
山本「リングに近い付近の真下で打ったり、上で打ったり横から打ったりっていうバリエーションを増やすのと、あとは精度を高める練習をしています。普通のレイアップシュートだと、自分は背が低いので普通に行ったらブロックされる。タイミングをずらすシュートだったり、横に(相手が)いたらブロックされないように外から打てるようになったら打てるじゃんって思って」

 これが背の高い海外選手への対策!試しに溝江さんを相手に見せてもらいました。

山本「こうやって打ったらブロックしやすいんですけど、でもこうしたら届かない」
溝江「全然違う!私手長い方なんですけど全然届かない」

 打ち方のバリエーションを極めれば身長差も凌駕できる。実はオリンピック予選の残り40秒で決めたシュートも、この技を応用していました。
   
山本「あのシュートはさっきもシュート練習していたみたいなゴール下のシュートを毎日やっていたのでそのシュートが生きたのかな」

 そしてもう一つ、この取材の前に山本選手の試合を観戦していた溝江さんが、気になっていたことが。

溝江「マニアックかもだけど・・・今長袖を着ていますけど、腕の三角筋のところとか、ふくらはぎとか四頭筋がちょっといいなとか思ったりするんですけど、鍛えるの好きですか?」
山本「・・・はい 好きです」
溝江「ちょっと・・・」
山本「触ります?」
溝江「いいですか?」

 山本選手が特に自慢だというのがお尻の上の筋肉!

溝江「上のあたりが鍛えられていて盛り上がっています。硬くなくて。柔らかい筋肉の方がいいと言うじゃないですか、(山本選手の筋肉は)まさに柔らかくて」
山本「みんなからおしり気持ちいいって言われます。東京五輪の時も体は大きかったは大きかったけど今の方がしまっていて、最近はトレーニングを個人で見てもらっている人がいて」

 東京オリンピック後からチームでのトレーニングの他に、新しく個人でもトレーナーをつけ股関節やお尻を徹底的に強化。肉体改造を行って来ました。

 自分自身と常にストイックに向き合う山本選手。そこにはある理由がありました。

 バレーボール元日本代表の父、バスケットボールの元実業団の母というスポーツ一家で育った山本選手。小・中・高と全ての年代で日本一を経験し、順調にキャリアを積んできました。

 しかし、18歳で入団した実業団の世界は優しいものではありませんでした。

(写真は試合に出られなかったころの山本選手)

山本「トヨタ自動車入ったときに2~3年はずっと試合に出られなくて。出ても何秒とか。試合に出られないと悔しいし『何で?』って。3年目とか出られないときは移籍とかもちょっと考えて・・・」

 今まで感じたことがなかった、"試合に出られない"悔しさ。3年目までスタメンで出られた試合は毎年多くて2試合。焦りを感じていました。そんな中、お母さんからかけられていた言葉が。

山本「『今は我慢する時期だよ、腐らずやり続けなさい』とずっと言われていて。我慢の時期があったから今の自分があると思っているので」
溝江「それすごくわかるから・・・ちょっとうるっときちゃった」
山本「しんどいですよね、本当に。あの時期は」

 試合に出られないなら自主練習。逃げずに向き合い続けたから強くなれた―。

 そんな山本選手が目指す、2か月後、パリオリンピックでの姿とは・・・?

山本「メダルを取ること金メダルを取ることが目標だけど、それ以前に自分自身がパリオリンピックという舞台を楽しんで自分らしさを出せる大会にしたい」

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