【博多祇園山笠】飾り山笠が公開 中洲流の「見送り」は能登出身の絵師の人形 地震被害からの復興願い 福岡名物との意外なつながりも
大正6年(1917年)創業、福岡市に工房を構える博多人形の老舗「中村人形」。その4代目の看板を背負い、100年を超える伝統を受け継ぐ中村弘峰(ひろみね)さん(38)です。
博多人形師として一人前と認められて10年目となることし、三番山笠・中洲流の飾り山笠を手がけます。
■博多人形師・中村弘峰さん(38)
「みんなに喜んでもらいたいので。元気になるというか、パワーをもらえるものを期待しているので。元気な感じがいいんじゃないんですか。」
中村さんが題材として選んだのは、安土桃山時代、幾多の困難に見舞われながらも天下一の絵師へと登りつめた長谷川等伯(とうはく)です。能登出身の天才絵師をテーマに選んだ理由は。
■中村さん
「1月1日に地震が起きて大変な状況になっていることをテレビやSNSで知って。能登については自分も何かしたい思いがあった。」
ことし1月に発生した能登半島地震では、中村さんのものづくりの仲間も被災しました。
■中村さん
「いろんな友達がいて、工房で皿が何百枚も割れている写真とか、輪島の街が火事でなくなったのを見て、すごくショックだった。それで山笠の題材を考える時に、能登半島とつながるような題材ができたらいいかもなと。」
中村さんは2017年、石川県で開かれた公募展で、80か国およそ600点の作品の中から2番目にあたる優秀賞を受賞しました。中村さんにとって石川県は特別な場所だといいます。
■中村さん
「作風というか、この道に行けばいいんだという道を示してくれたのは金沢での展覧会。ある意味、作家としての大きなターニングポイントだったので、ずっとあの街に対しては感謝がある。遠い場所だけど思いを寄せている人間の思いを神様に奉納する、それが遠く飛んで石川とか能登半島とかに届くかもしれない。祭りってそういうものかなと。」
6月28日、中村さんが作り上げた人形が飾りつけられました。
■中村さん
「ちょっと前に出してください。もうちょい。右を回転。筆を引っ張り込む感じ。」
■中村さんの兄弟子・溝口堂央(とうよう)さん
「はや!」
中村さんの隣で飾りつけを見守るのは中村さんの兄弟子、溝口堂央さんです。溝口さんが手がけた表は、戦国時代、桶狭間の戦いでその名をとどろかせた織田信長が題材です。
■溝口さん「(中村さんに)負けられないなと。良い意味で切磋琢磨して、喜んでいただける飾り山笠を作っていければ。」
こちらは、ことしの中洲流の総務を務める西村守也さん(61)です。福岡の郷土料理「おきゅうと」の製造販売を営んでいます。
実は「おきゅうと」と能登半島には深い関係があります。
■中洲流 総務・西村守也さん(61)
「おきゅうとの原料を能登から取っている。17年前にも能登で震災があって、入札ができなかったことがあった。ことしの正月の震災の際、またその心配があって、たまたま存じ上げている輪島の漁協の方に連絡を取ったところ、輪島から船が全然出られないと。尼さんが全然操業できないという状況を聞いて、能登に目を向けるきっかけになった。」
7月1日朝、三番山笠・中洲流では櫛田神社の神職たちが訪れ、山笠に神を招き入れる神事「御神(ごしん)入れ」が行われ、中村さんたちが作り上げた高さ11メートルの飾り山笠が奉納されました。
■大阪から訪れた人
「いろんなニュースがあるからあっという間に忘れられたりするんですけど、大きな災難は(心に)ずっと刻まれて。能登が今どうなっているんだろうと感じられればいい。」
■博多人形師・中村弘峰さん
「無事に制作して飾りつけることができて、メッセージを博多から能登の地に送り届けることができるんじゃないかなと。」
能登半島の被災地復興への願いが込められた中洲流の飾り山笠。祭りが閉幕する7月15日まで、博多の街からエールを送り続けます。