シリーズ『こどものミライ』5歳の男の子が伝統芸能・筑前博多独楽を継承 お披露目に密着
■河﨑玄真くん(5)
「間違えた位置。ここやった!」
おもちゃのブロックで遊ぶことが大好きな5歳の男の子、福岡市に住む河﨑玄真(かわさき・けんしん)くんです。天真爛漫な笑顔を見せる玄真くんですが、コマに向き合うと、5歳とは思えない顔をのぞかせます。
480年以上の歴史を誇る伝統芸能『筑前博多独楽』は、福岡県の無形文化財第1号に指定されています。
おめでたい席を漆塗りの独楽で祝う独楽芸は、明治時代に一度、途絶えました。残された文献を辿りながら独楽芸を復興させたのは、玄真くんの曾祖父、筑紫珠楽(ちくし・しゅらく)さんです。
その後、子育て中の主婦から転身した祖母、博多小蝶(はかた・こちょう)さんが2代目を継承し、いまは父親が3代目となって筑紫珠楽を名乗っています。
代々受け継がれてきた博多独楽の未来を担う、宗家の後継者候補が玄真くんです。
■父・筑紫珠楽さん
「こうできる?こうして、座ってこう。そうそう上手~OK!」
玄真くんをお披露目する『記念公演』が2日後に迫る中、この日、本番に向けての最後の練習が行われました。
■父・珠楽さん
「コマを回す練習を一回してみようか。」
「せーの!あと一回だけでいい。せーの!上手、すごい頑張った。」
『記念公演』でのお披露目は、玄真くんが門下に入る初日を意味します。舞台では、あいさつの『口上(こうじょう)』と、すべての技の基本となるコマを手で回す『廻肇(まわしはじめ)』を披露します。
観客の前でコマを回すのは初めてです。
玄真くんを指導する珠楽さんですが、幼少期は母親から厳しい指導を受けました。
■珠楽さん(当時10)
「(Q. お母さんの練習は厳しい?)うん、厳しい。でも、じいちゃん(初代)のほうがまだ厳しかったって聞くけんね。ものすごく厳しかったったっちゃろうなと思って。」
■2代目・博多小蝶さん
「どんなに苦労してでも何かひとつをつなげていこうという意識、それしかないと思う。」
伝統芸能の継承という険しい道を母親と共に歩んできた珠楽さんは、当時の自分と重ねながらも、優しい口調で玄真くんと向き合います。
■父・珠楽さん
「10歳の10月10日に名前を付ける襲名のときまで正式にいうとお弟子ではないので、そこまで厳しくというのは今は思っていません。5歳のうちに厳しくコマは大変と刷りこませてしまうと舞台に上がるのが怖くなるので、今は師匠の立場というより、お父さんと一緒に何かをする楽しみとしてやってくれればいいなという感じです。」
小蝶さんも、練習を見守ります。
■祖母・小蝶さん
「玄真、お尻向けたらいかんよ。」
■父・珠楽さん
「これを持つのが玄真。」
玄真くんは出番が終わったあとも、技を披露する珠楽さんたちをサポートする『後見(こうけん)』を務めます。
■玄真くん
「楽しかった。」
博多独楽は、独楽師が自ら木を切り出し一つ一つ手作りします。玄真くんが『廻肇』で使うコマは、珠楽さんが作りました。
そこには、ある思いがありました。
■父・珠楽さん
「玄真の手のサイズに合うように作っている。今後、コマが好きでいてくれたらいいなというのと、想像する未来は一緒に舞台に上がっているところ。そうなったらいいなと。」
10月15日、本番当日を迎えました。
■玄真くん
「おはよう。」
■玄真くん
「けんしんが持っていく。重たい。」
積極的に公演に向けて準備を手伝います。
玄真くんはコマが好きで、3歳のころから父親の背中を見て育ってきました。その同じ舞台まで、あと5分です。
■父・珠楽さん
「緊張する?大丈夫よね?」
果たして『口上』は言えるのでしょうか。
■父・珠楽さん
「それでは、河﨑玄真による口上をさせていただきたいと思います。」
■玄真くん
「お初にお目にかかります、河﨑玄真と申します。いまから博多独楽を頑張ります。よろしくお願いします。」
堂々と大きな声で『口上』を述べることができました。
『廻肇』も成功し、独楽師への第一歩を踏み出しました。
■玄真くん
「楽しかった。きれいに回ったり倒れた。」
■父・珠楽さん
「回るのかと思ってみていたけど、辛うじて回っていたので安心だったのと、回ってすぐこっちを振り向いてにこっと笑っている顔をみて、父親として素に戻って笑ってしまいました。」
代々受け継がれてきた伝統芸能の筑前博多独楽を継承すべく、玄真くんは10歳までに2つの独楽芸を修得し、『猿楽』襲名を目指します。