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西田敏行さん「福島を故郷にもって本当に良かった」震災復興に注力 功績を振り返る

2024年10月17日 18:00
西田敏行さん「福島を故郷にもって本当に良かった」震災復興に注力 功績を振り返る

17日に亡くなっていることが分かった西田敏行さんは、郡山市出身とあってとくに震災・原発事故の後は 福島復興のために精力的に活動をされてきました。これまでの功績を振り返ります。

昭和22年、郡山市小原田に生まれた西田敏行さん。長年の功績が称えられ2018年に県民栄誉賞を受賞したときのセレモニーには、中学校時代の同級生もお祝いにかけつけました。中学卒業後は、上京し、俳優としての本格的な道を歩みます。

なかでも西田さんの代表作でもあり国民的映画となったのが「釣りバカ日誌」。1996年に公開された「釣りバカ日誌8」では、いわき市が舞台となり、名優・三國連太郎さんとともに、いわき市の夏井川や湯本温泉など各地でロケを行いました。

■制作発表に臨んだ西田さん(’95)
「福島県の人っていうのは芝居っ気があるんじゃないかな。だから非常にやりやすい。」

味のある温かい演技や貫禄のある演技など幅広い役柄を演じた西田さん。2008年に紫綬褒章を受章したときには、中テレの取材にこんなことを話していました。

■西田さん(’08)
「バイリンガルで頑張って、福島県のにおいをぷんぷんさせながら、徳川家康やらしてもらっても、どっかに福島なまりが出てきたりなんかするもんだがら、みんなに『訛ってんじゃない?』みたいなことを言われたりする。そういう私でも褒めていただいて、紫綬褒章を頂くことになりました。ほんとに県民の皆さん、よくまぁほんとに応援してくださってありがとうございます。」

2011年の震災・原発事故のあとは福島復興や被災者のために積極的に取り組んできました。原発事故から1か月。県産食材が深刻な風評被害に苦しんでいるなか、西田さんは郡山市のスーパーにかけつけ、福島のおいしい野菜やくだものの安全性を訴えました。

■西田さん(’11)
「今回(震災)は本当に大変な目に会いましたけど、福島は負けませんから。マグニチュード9.0?津波の高さ14m?負けないよ。中通り、会津が一丸となって、浜通りの人をちゃんと支えてあげて。胸を貸してあげて。「今、泣きたいときは、思い切って泣いていいんだよ、辛いだろう」と受け止めてあげられるキャパシティを、俺たちは持つべきだと思いますね。そこから始まる。泣いた後に笑えるから。」

その後も、足しげく福島を訪れ県民に勇気や笑顔を与えてくれた西田さん。震災・原発事故から10年の節目となった2021年には、中テレとNHK福島放送局が共同で制作した番組の「題字」を担当。随所に、福島を思う西田さんの遊び心が表れたものになりました。

■西田さん(’19)
「ここの2021は猪苗代湖の白鳥をイメージしました。見事ですね。丸は違いますよ。矢印はもう「これから」ですよ。これから矢印に向かってどんどん突き進んで、最後は福島は日本最高の楽園になる。そういう風にします、なります」

今年に入っても、郡山市の「うねめまつり」の新テーマソングも参加。その矢先のことでした。最後まで、福島復興のために精力的に取り組んでくれた西田敏行さん。76歳でした。

「おれ今本当正直な気持ち、福島を故郷にもって本当に良かったと思ってます。本当にありがとう」

最終更新日:2024年10月17日 18:47